社長は疑わし気な顔つきでじっとこちらを見ていた。
「まあいいわ。ところであなたにぜひ担当して欲しいお客がいるの」
社長から写真が差し出された。一見すると普通の青年のようだったが。
「私の息子なの」
「はあ、そうですか。この方が」
「今のところ、系列の婚活相談の会社で修行させているの。あのね、ここだけの話、将来は会社を任せるのだけど……、そろそろ、そのために身を固めて欲しいと思っているけど、どういうわけか、あの子には女の人とのご縁というものが全く無いの。困っているの」
私は可笑しいのを堪えていた。婚活相談の社長が、自分の息子の婚活で困っているとは!
一週間後、本人と会った。彼の小指からはまったく赤い糸が伸びていなかった。完璧に存在しない人もいるのだなぁ……と思い、ため息をついた。彼自身、自分の結婚のことなど全く考えていない。そのせいで小指からは赤い糸の先っぽさえ伸びてこない。なぜか他人の良縁のことばかり気にしているように思えた。
私はこの人が気の毒になってきた。何とかしてあげたいと思ったが、私は赤い糸を作り出す能力は持っていない。少しでも糸があれば先端をつかんで力づくで引き出すのだが。
私と彼の目が合った。これが、なかなかいい顔立ちなのだ。私がにっこり笑うと彼もぎこちない微笑みを返してきた。
そのとき、私の脳天から電流が走ったようだった。えっ、と思い頭上を見ると空に金色のオーロラのようなものが渦巻いていた。私は呆然としてその光景を眺めていた。
すると、その光の渦の中からみるみる一本の金色の糸が私に目がけて降りてきた。
そして伸びてきた糸は、私の小指にすっとまとわりつこうとした。
私は衝撃を受けた。このままではこの人と結ばれてしまう。
駄目! 駄目! と心の中でつぶやきながら、必死で小指をかばったが、金色の糸は私の手の隙間をかいくぐるようにして小指にまとわりつこうとする。振りほどこうとして手を激しくはらっても、ふらふら、ゆらゆらして離れていかない。ああ鬱陶しい……。
私の小指にまとわりついた糸は定着しようとしていた。私は慌てて固定される前に糸を引きちぎろうとした。
目の前で腕を振り回して踊っている私を見て、彼が叫んだ。
「ど、どうしたんですか? 具合でも悪いんですか? い、医者を呼びますか?」
私は糸がたなびく手を振りながら、笑みを浮かべて断った。
心の中で、自分の運命は受け入れなければいけないという思いと、あのビジネスライクな社長が、自分の義母になるのだけは勘弁してほしいという気持ちが交錯した。息子さんは優しそうで好感が持てたが。
私は糸の両端を持って全力で引っ張った。ぷつん。切れた。
もしかすると私は今、社長夫人のポジションを逃したかもしれない。しかし私は念を入れて糸をもう一箇所引きちぎった。
面談の最後に一言だけ質問した。
「どうもあなたは自分の赤い糸より、他人の赤い糸に興味を持っているように感じました。なぜですか? 婚活の仕事のせいですか。自分のことより他人の幸福の方が大切なのですか」
彼はにっこり笑い、質問に答えないまま頭を下げた。
その後も、その出来事はずっと心に残った。誰も知らないこととはいえ、折角の自分のご縁を頭から無駄にしたことも気にかかった。ついに我慢出来なくなって、私はこの会社にも辞表を提出してしまった。ああ、私はいつまで、こんなふらふらした生き方をするのだろう。職を変えてばかり。もう一回、転落事故を起こして頭を打てば正常に戻るかな。