カーテンの隙間から覗く満月に誓うように頷くと、義母が眠るベッド脇の布団に潜り込んだ。途中他愛もない譫言に阻まれつつも、眩しい朝日に照らされて目覚めたとき、奈緒美の心は澄んだ青空のように晴れやかだった。
一度やると決めたら、女はいくつになっても、とことん強いのだ。
昼夜の区別なき拷問のような生活の中で、唯一の楽しみは寝起きのコーヒーくらいだったが、それでも義母なきあとの大それた計画を考えれば、どうにか踏ん張ることができた。いや、踏ん張るしかなかった。
奈緒美はもう周りを羨むことも妬むこともきっぱりやめて、自分の運命を丸ごと受け入れることに決めた。
それからおよそ半年後の正月、義母の容態が突然悪化した。深夜に激しい発作を起こしたうえに吐血して、救急車に担ぎ込まれたのだ。
途端におろおろと狼狽し出した夫に代わって、奈緒美は真っ先に義姉家族に連絡を入れた。そして、すでに息を引き取ったかのように動かぬままの義母のそばに寄り添った。
「俺はさ、待合室で姉さんが来るのを待ってるよ」
夫は怯えた声で言うと、青白い顔をして病室から出ていった。気持ちを鎮めるために、煙草でも吸うのだろう。
「お義母さん、もう少しでタケミさんが来ますからね」
手を包み込むように握って話しかけたそのとき、蚊の鳴くような声がかすかに響いた。
「な、なあ、なあおうこさん」
一瞬、空耳かと思ったのだが、仰向けに横になった義母の肩が、わずかに震えている。
奈緒美は、硫黄の臭いがする口元にさっと耳を近づけた。義母が最後の力を振り絞って発しようとする言葉に、全神経を研ぎ澄ます。
「引き出し、みて……。あ、り、が、と、う」
手紙か遺書でも、残しておいたのだろうか。かろうじて聞き取ることができた感謝の念を胸に刻んで、力強く頷き返す。
「こちらこそ。お義母さん、今まで、どうもありがとう」
顔を覗き込むと、義母の口元がわずかに緩んだような気がした。
そのとき、病室の扉が、勢いよく開け放たれた。
薄く化粧をした義姉が、血相を変えて入ってくる。つづいて、頼りなさそうな旦那と、反抗期真っ盛りの中高生三人が、ぞろぞろと近寄ってきた。
「おかあさん、おかあさあん!」
義姉は、奈緒美を押しのけるようにして泣き崩れた。幼女がイヤイヤをするように、長い髪の毛を振り乱しながら喚き散らす。
一方、旦那は何と声を掛けるべきか、戸惑いの表情を浮かべて立ち竦んでいる。子どもたちは骨が浮き出た貧弱な老婆の姿にギョッと白目を剥いて、唖然とするばかりだ。
(母親が口も利けなくなってからのこのこやってきて、浅はかな猿芝居を見せつけるなんて、まったくうんざりだわ)
ひどく動揺する義姉家族の様子を冷静に傍観しながら、奈緒美は白々しく思えてならなかった。
重苦しい静寂が流れる中、よろめくように立ちあがった義姉に向かって、幾分落ち着きを取り戻したらしい夫が、これまでの経緯について簡単に説明した。むろん、先の見えない介護生活がどれほど過酷なものであったか、さりげなく強調することも忘れてはいなかった。
常日頃の会話から察するに、遺産相続を有利に運ぼうという魂胆なのだろう。誰も住んでいない実家を売り払えば、もっと余裕を持って暮らせるはずだと、今まで何度聞かされてきたことか。