そして私たち、つまり私と子河童と子砂かけ婆だけが、無音の夜の、暗黒の山の麓に、ぽつねんと取り残された。山の上の方から冷たい風が吹いて、さっきまで夏と思っていたのに、季節は今や秋であることを胸の内に確信した。それは多分、間違いではなかった。何も見えない夜において、感じることだけは自由だった。
「ねえ、みんなどこ行っちゃったのかな」
「びぃ」
「びぃ」
二人は今や姉弟みたいだ。
夜の闇の中では木々の名前など意味をなさない。木は、眼前に屹立し私たちの視界を阻む、一塊の黒い影でしかない。明るい月の、明るい星々の引き立て役でしかない。ずっとそう思ってきた。しかし、今宵の木々はそれとは違った。風に不吉な音を立て一瞬の間に体を膨らませたかと思うと私たちに覆いかぶさり威嚇する。月や星がいくら明るくても、見えなければ無価値であると私は知った。子河童と子砂かけ婆の手のぬくもりだけが頼りだった。そんな夜は久しかった。ぬるぬるとぬめぬめの間だろうが、泥でぐちょぐちょだろうが一向に構わなかった。そんな恐怖も、そんな安堵も、久しかった。
「ごめん、ちょっと休憩」
そう言って私が木の根元に腰を下ろすと、ふたりは心配そうに目を見合わせた。さっきから右足が鋭く痛んだ。覚えのない傷のせいだ。
「びぃ」
子河童が情けない声を出す。
「まま」
子砂かけ婆が今にも泣き出しそうな顔で、私に言う。ままじゃないのに。傷口からはまだ血が出続けているようだった。暗い中で目を凝らすと、血は紫色に映った。妖怪に近づきつつある、と思った。悲しくはなかったけど、嬉しくもなかった。依然泣き出す寸前の表情を保ったままの子砂かけ婆が、ひょうたんの中を弄ってひと握りの砂を取り出した。
「もう投げんなよ」
「まま」
ままじゃないんだよと言いかけた私の右足に、子砂かけ婆は優しく砂を塗り込んだ。不思議なことに、痛みはみるみる引いていき、血も傷口のところで凝固した。
「ありがとう」
「まま」
うん。もうままでいいや。なんでもいい。
湖は私が思い描いていたのとぴったり同じ場所にあった。鬱蒼とした木々の真っ黒い影を縫うように歩き回った末、その湖は突如目の前に現れた。丸い月が湖面に映っていて、私は反射的に空を仰いだ。ずっと明かりを求めていたことに、その時ようやく気づかされた。多分、満月が見られるのは明日だろう。今は欠落した月の一部も、明日の夜にはきっと姿を現すだろう、そんなことを考えていたとき、再び、ぺち、ぺち、とさっきも聞いた足音がした。
顔を下ろすと正真正銘、大人の河童がいた。体じゅうから水を滴らせた、子河童の親であろうその河童は、かなり身長が高く、軽く見積もっても二メートルは悠に超えていた。
「あ、あの」
早く説明しないと、誤解を生んで殺されでもしたらあまりに報われない、焦ってなにやら口走りそうになった私を親河童は、
「言わんくてもわかります。えらいすんまへんでした」
流暢な関西弁で制するのだった。それから、
「おおきに」
そう言って子河童の手を取り湖の方へ歩き出してしまった。私には一人で座りこんでいたときからずっと誰かに訊きたいことがあった。話の通じる立派な大人に、訊かなければならないことがあった。
「これは、夢なんですか」