私が尋ねると、なんとか息を整えて、
「子砂かけ婆」
と言った。砂かけ婆は子供の頃からずっとババアらしい。妖怪には固有の名前がないのだろうか。
「あんたも迷子?」
「うん、うん」と子砂かけ婆はしきりに頷いた。なんだって迷子は私のところに集まってくるのか。子砂かけ婆のさっきの迷惑行為は、私に助けを求めていたということらしかった。いじらしいやつ。
「しょっちゅう誤解されるんだろうね」と私が言うと、何が面白かったのか子砂かけ婆は口を大きく開けて笑った。もうすっかり泣き止んでいて、子どもらしいなと思ったけど、開いた口の中には歯がほとんどなかった。まだ生えていないが正しいのか、もう残っていないが正しいのか、私にはわからない。祖母は最期まで健康な歯を守り抜いたからそこは似ていない。似ていなくてよかった。
「びぃ」
子河童が子砂かけ婆に向かって小さく鳴いた。ふたりはほとんど同じ背丈をしていた。
「びぃ」
子砂かけ婆が子河童の真似をした。子河童はそれがよほど怖かったのか、私の後ろに素早く隠れて、スカートの裾を力一杯握った。
「仲良くしなさいよ」
山の頂で紫の花火が上がった。私たちは同じ光の中で、手を繋いだ。
よく分からない迷子をふたりも抱えて、私は途方に暮れていた。特に子砂かけ婆の方は、尋ねてみても、どこではぐれたかわからないようだった。もちろん私にも見当はつかない。まずは子河童からだ、と再び列に体を捻じ込む。窮屈だけれど、馴れてしまえばなんてことはない。目的地に着くまでただ流れに身を任せていればいい。抜け出すときにもう一度踏ん張る、それだけでいい。
流れの中で、私はあることに気がついた。見物人たちの動きが奇妙なのだ。おっさんもおばさんも子どもも犬も若ママもおじいちゃんもおばあちゃんも、皆、それぞれに決まった動きを繰り返している。まるでロール・プレイング・ゲームの村人のようだった。蛙の鳴き声も一定のリズムを崩すことなく、メトロノームのように「げえげえ」響いた。
そしてもう一つ、彼らには影がなかった。比喩的な意味ではなく、光に照らされた物体が所有しているべき、言葉通りの影が、なかった。それに気づくと、見物人はただの書き割りのように感じられ、途端に立体感を失うのだった。提灯や行灯が投げかける光は、行列の妖怪たちにしか影を生まなかった。もみくちゃの中、どれが誰のものかわからないどころか一つに重なり蠢いているようにも見える、行列の影。私は私に影があるかを確かめるために、右手をなんとか上げてみた。すると、巨大な芋虫のような影にピョコンと触覚が生まれた。私の影だった。右手を左右に動かすと、影も所在無げに左右に揺れた。
はるか遠くに見えていたはずの山の麓に、私たち一行はあっという間に到着した。体感としてはものの二分というところだった。その体感二分の間に、雨は豪雨となり霧雨となり止んだかと思えば驟雨となり、雷が落ちた。テレビで見たことのあるタイムラプスという方法で撮られた世界のように、目まぐるしく風景が変化した。
麓に着くと同時に、列を成していた妖怪たちは霧のように消えてしまった。鬼も一反木綿も妖狐も天狗も、さらに見物人たちまで、気がつけばどこかへ消えてしまっていた。