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『バニラとアンモニア』松久牡丹

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 遠くに望む山々から私が今いる地点まで、曲がりくねった光の線が一匹の巨大な蛇のように伸びている。光は妖怪たちが手に持っている提灯と、雑に地面に置かれた行灯により発せられるものだ。さっきから、わがままに伸びた雑草の先端が私の踝を擽っていて、むず痒いったらありゃしない。
 音はでたらめに響く。それは都市に限定されたことではなく、山と海に囲まれたこの辺境の村でも言えることだった。音は生み出された瞬間から旅を始める。あらゆる物質にぶつかり、あらゆる方向へ飛び交い、時に、音と音とがぶつかり合う。太鼓、祭囃子、笛、花火、靴と砂の摩擦、蛙の合唱、大型犬の吠え声、鈴虫の鳴き声。
 それらの音を抱きしめるように、雨が、しとしと降っている。目には鋭い針のようで、しかし耳には優しく響く、そんな雨。
 痒みに目を向けると、草履を履いた私の右足の親指第一関節のあたりに、覚えのない小さな切り傷ができている。傷に滲む血液を、往来の提灯から漏れる橙の灯が瞬間強く照らし出したように見えたそのとき、不意に、
 ぺち、ぺち
 と、どこかで聞いたことのある変に懐かしい音が、私の眼の前から聞こえてきた。 
 顔を上げると、河童がいた。まだ幼い、ほんの子どもだった。
「迷子?」と潤んだ瞳で私を見つめる子河童に訊ねる。子河童は弱弱しく頷く。
「どこではぐれたの?」
 子河童は恐る恐る山の方を指差した。水かきがぶよぶよと震えていた。
 どうやら言葉は伝わるらしい。話せないのはまだほんの子供だから、なのだろう。それにしても、よくもまああんな遠くからひとりで歩いてこれたものだ、と私は感心した。
 私は突然、「銭湯だ」と思い当たった。「ぺち、ぺち」がだ。それはタイルの床と濡れた足が触れ、離れるときに鳴る音だった。子供の頃、よく母に連れられて銭湯に行ったものだ。今思い出した。私は銭湯が好きだったのだ。
 子河童は座り込んだ私に手を差し出した。まだ手伝うなんて一言も言っていないのに、子河童はもう親探しの協力者を得たつもりでいる。これだから子供は嫌だ。遠慮というものをまるで知らないんだもの。戸惑いながら握り返した子河童の手はぬるぬるとぬめぬめの中間といった感触で、やはりこの子も水中の生き物なのね、そんなことを考えていると一瞬全身が宙に浮いたようになり、気づくと私は起立させられていた。子河童は子供のくせに力が強かった。男の子かしら。
 子河童の頭は私の肩と同じ高さにあった。頭の上に悪戯のように乗せられた陶器の白い丸皿には、雨水が少しだけ溜まっていた。私の手はまだ握られたまま。肉厚な水かきは柔らかく、少し湿っていて気持ち良かった。それでいて少し冷たかった。
 山の中腹には湖がある。私はそれを知っている。子河童の親はそこにいる、ととりあえず仮説を立てて、山の頂まで連なっているどんちゃん騒ぎの大行列に体を捻じ込む。子河童は「びぃ」と小さく鳴いた。
 妖怪たちが成す列は満員電車のような混み具合で、ともするとそれ以上で、私たちは身動きひとつ取れなくなった。鬼に一反木綿に妖狐に天狗に子河童に子砂かけ婆に、それからおそらく人間である、この私。あまりにも窮屈なせいで、汗が顔の皮膚をなぞるのも好きなようにさせておくほかなかった。誰の意志とも関係なく、列はただ一方向にのみ進んだ。でたらめに音を響かせながら。子河童はまた「びぃ」と鳴いた。そのとき、この手は絶対に離すまいと私は心に誓った。理由はわからないし、多分そんなものは特になかった。

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