教室はいずれ改装してホテルの部屋にしたいんです。そうそう部屋ができたらハルコさんは定宿にしたいらしいですよ。部屋番号は113ですって」
「あ!ニホニウム?」
そんなこと話していたら、自動ドアが開いてランドセルの女の子が入ってきた。「源治じいさんおはようございます!」「あぁまひるちゃんおはよう。今日はいつものでいいのかい?」「うん。卵はスクランブルエッグがいいな」
源治さんと言葉を交わす女の子は、小学校2年生の名札をしていた。
かとうまひるちゃん。もくもくと源治が作ったロールサンドイッチとスクランブルエッグを味わってスープを飲むと、今日もおいしかった。お腹いっぱい。
じゃあね、行ってきますってその体育館の扉から出て行った。
「あの子はお母さんを失くして、お父さんひとりで暮らしてるんですよ。朝ご飯を作るのが難しいってことでね。ここで提供してるんです。あの子は、あんなふうに学校に行くけれど。ほら行きたいけど行けない子とか行きたくない子がいるでしょう。そういう子は、ここにいて大学生のアルバイトの人達が勉強をみてくれたりしています。あそこにいるヒマワリのTシャツの女の子はそうかな」
見ると、楽しそうに教科書を開いて懸命に鉛筆を動かしているのがわかった。
「小さい頃思い出しそうになる空間だね。運動場とかみてきてもいい?」
「どうぞどうぞ」
源治さんの久しぶりの笑み。<ホテルibasho>の裏手の運動場らしきところは色とりどりの野菜が育っていた。その運動場に沿って歩いていくと、百日紅にぐるりと囲まれた辺りに椅子に座った初老の男と永嗣がいた。
向かい合って笑ってる。永嗣はその初老の人を描いているらしい。あの方も源治さんのお仲間だろうか。永嗣の本職はデパートの外商だったけど時々デッサンしたくなるって言ってたことを思い出す。
わたしと永嗣の夏休みがもうすぐ終わろうとしていた。
仕事場に行くときの感情が甦る。都内に出るとじぶんの皮膚やどこか見えない場所までもがささくれだつような気がする。上司の保井に要領よくやって、もうちょっと器用になってって諭された言葉が渦をまいていた。それに源治さんと2人住んでいたあのアパートは立て壊されていずれコンビニになるらしい。
そんなこと思っていたら、永嗣がおじいさんをモデルに描いていた紙が風に吹かれて舞いそうになった。永嗣もおじいさんも立ち上がってそれを拾おうとしてよろめきそうになった時、ありえないバランスでもって拾ったのは、ハルコさんだった。
「ナイスキャッチ」永嗣が嬉しそうに手を叩く。おじいさんもほころんでいる。
それをみてたらすべてを風にまかせてみるのもいいかもしれないと思った。
会社やめる。やめて<ホテルibasho>でわたしができることを探す。
居場所がなかったと痛切に感じてたあの日を駆け抜けるように、ここにいてもいいじゃなくて、ここにいたいって誰かが思える場所をつくってゆきたいのだと、長い長い夏休みの宿題を終えた気持ちで、永嗣が笑っている声を聴いていた。