うすい緑のシフォンのカーテンが潮風に揺らされていた。
アパートの窓の外は海のせいか、1年中湿気ている。
エアコンの室外機もかなり錆びがひどい。テラスもペンキが剥げてしまって松笠のように反り返っている。
洗濯物の時うっかり触れると、毒づきたくなるぐらい痛い鱗のような手摺。
源治さんの亜梨子さん亜梨子さんって言う声が、いつも湿っているその部屋に染みわたっていた。
だけど今はそんな声は聞こえてこない。
この古ぼけたアパートに父親が死んでからずっと、わたしは叔父の源治さんと住んでいた。
源治さんは死んだわけじゃないのに、この部屋から出て行ってしまったのだ。
訳も言わず。でもそのかわりに日記のような分厚いノートを残して。
すぐ開こうと思えば開けるぐらいの鍵もなにもついていないノートなのに、ぐずぐずとその先に進めないでいた。
耳の中の源治さんの言葉をぐるぐると巻き戻してゆく。
なにかここを出ていかなければいけない、伏線のようなものは叔父の言葉のなかに隠されていなかったかどうか。
思い出してみると、どれもこれもそれにしかみえない。
「亜梨子さん知ってますか。陰暦の5月28日にね、降る雨が<虎が雨>っていうんですよ。聞いてますか亜梨子さん」
正直わたしは眠かった。小さなPR誌を発行している会社に勤めていて、今この仕事をこの先も続けたいのかどうかわからなくて、ちいさな岐路に立っていたのと、付き合っているようないないような永嗣とのこれからが、あまり見えてこなかったややこしいっていうかもやっとしたフェーズを迎えていたから。
だから、源治さんの唐突な話には半分ぐらいしか耳を傾けていなかった。
「この日に曽我十郎というひとが死んだんですよ。そしたら愛人の遊女していた虎の御前がすごい悲しんで、でねその女の人の涙が雨になって、降るいうのが<虎が雨>とか<曽根の雨>とかって言うんです。それでね、じいは思ったわけです。源治の雨とか亜梨子の雨とかって降る時にわかったら、面白いなと」
源治さんは祖父でもないのに自分のことをじいと呼ぶ。ほんとうは孫が欲しかったのかもしれない。ぼんやり聞いていた割には胸のどこかに痛みが走る。そして不機嫌になった。
「怒ってますね、亜梨子さん。あなたのはすぐ顔に出る。小さい頃からそうです。そういう癖は直しといたほうがいいですよ。ちゃんと声にしてくださいよ」
源治がじっとわたしの横顔に視線を放っているのに気づく。
「そういう生きるとか死ぬとかの話を面白そうにしないで」
「そうですか。きらいですかこういうの。だって亜梨子さんはまだ若いから、あれですけど。誰かがじぶんの為に泣いてくれてるってちょっと甘美なものですよ」
どうすればいいのかわからないからとりあえず永嗣に電話した。案の定、いつものでっかい声でがなっていた。すごいだみ声なのだ。そんなんはよ、開いて読んだらいいやんかって今俺がそこに行ったるからって、駆けつけてくれた。別れ話の途中みたいな関係だったのに来るという。