俺もひーちゃんも緊張していた。残念な顔をさせてしまったらどうしよう。そんな不安からか、俺たちはケイコさんがオムレツに手をつけるまで一言も発することができなかった。
「いただきます」
俺たちはケイコさんの口へと運ばれる不格好なオムレツを見つめた。ケイコさんは口に含んだオムレツを味わうようにそっと目を閉じた。そうして、また一口、また一口と口に含んでいく。
「美味しい、とっても美味しいわ……」
“タケさん”、とケイコさんは微笑みながらそう口にした。
「……っ」
ひーちゃんが俺の手を強く握った。きっとひーちゃんにも見えていたのかもしれない。俺が見た光景が。ケイコさんの前に座る、紳士で優しそうでふわふわとした雰囲気を放つ男性の姿が……。
ケイコさんは堪えきれない涙を流しながら、オムレツを食べ進める。もうここはケイコさんとタケさん2人の世界だ。俺は繋がれたひーちゃんの手を引きながら踵を返した。
部屋を出るとき、ふと俺はベッドの上に置かれた一枚の白い封筒を見つけた。それはいつだったか、俺が母さんに頼まれて出した、ばあちゃんの大切な書類と良く似ていた。
「ひーちゃんのじいじね、ちょっと前に死んじゃったんだ」
ロビーの椅子に座り、俺はひーちゃんの話をじっと聞いていた。さっきケイコさんの部屋で見た光景のことは一言も話さずに。
「すっごく悲しかった。じいじって呼んでるのに起きてくれないんだもん。いつもみたいに遊んでくれなくて、ずっと眠ったままなの」
「うん」
「じいじはどこに行ったのってママに聞いたら、お空にいるよって。でもひーちゃんね、じいじ、お空に1人でいて寂しくないかなって、心配だったの」
「うん」
「でもさっき、じいじに会った」
「……」
「じいじ、ケイコさんを見て笑ってた」
ひーちゃんの話は何も疑うことなくすんなりと頭の中に入って来た。それはきっと、そういうことだと、心の何処かでは気付いていたからなのかもしれない。
「お前が笑わせたんだよ、ケイコさんのことも、そのおじいちゃんのことも。それにあのオムレツ、作れたのはひーちゃんのおかげじゃん」
「……」
本当は、ひーちゃんはケイコさんのこと知っていたのではないだろうか。おじいちゃんの好きな人、として。ふとそんなことを思った。
翌日、出勤ではないけれど俺はホテルへと来ていた。ロビーを通ると荷物をまとめたケイコさんが椅子に座っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
柔らかくそう笑うケイコさんには、もう後悔や悲しい色は何一つ見えない。それだけで、俺は内心安心していた。
「昨夜はありがとう。おかげでとっても楽しい時間が過ごせたわ」
「それは良かったです」
「あの味は一体……」
そう言いかけて、ケイコさんは小さく微笑んだ。
「やっぱりやめておくわ」
深くを知ろうとしないのは、きっと彼の面影にすがりつきたくないからだろう。綺麗な思い出として心の中に残しておくことを選んだのだ。きっとそれを知ってしまったら、何度もすがりついてしまうかもしれないから。何度も求めてしまうかもしれないから。というのは俺の想像だけれど。
「そういえば、昨夜手紙を読んではいませんでしたか?」