「えぇ」
「あの手紙は……」
「私の妹が送ってくれたものなの。なかなか会えなくて、疎遠になっていたけれど……」
「……」
「彼が亡くなったことが書かれていたわ」
「そうでしたか」
あの朝、俺は大切な書類だと言われてそれを預かった。きっと母さんも中身を知ってはいなかったのだろう。
「届いたのは一ヶ月も前のことだけど、あの手紙がなければ私は彼の死を知ることもなかった。それに……」
「おばあちゃん!」
ケイコさんの言葉は、中年女性の声にかき消された。その女性は中年男性と娘らしき人を引き連れてこちらに駆け寄ってくる。
「時間ね」
ケイコさんは、僕の手をそっと握ると少女のように輝いた目で俺を見た。その目はとても澄んでいて、綺麗だと心の中でつぶやく。
「本当はずっと思い出そうとしなかったの。こうして家族もできたのに、まだあの人のことを思っているだなんて、よくないって」
「……」
「でもここに来て良かった。思い出せて、良かった」
ケイコさんの手が強く俺の手を握りしめる。その手は細くて皮だらけで、けれどとんでもなく温かかった。
「もうおばあちゃん! ダメじゃない。せっかく自宅療養に切り替わったのに。1人で外出ないでよ。結局帰れなくなって電話してくるんじゃない」
「そうよね、迷惑かけてごめんなさいね」
弱々しく笑って、ケイコさんが立ち上がる。
「お世話になったわね、本当にありがとう。あなたたちのおかげで、思い出も持っていける。それに、新しい思い出も増えたわ」
ケイコさんのこの言葉は、一生忘れることはないだろう。だって俺が、人生で初めて誰かの役に立てたことを示す言葉だったから。
「じゃあ」
ケイコさんは「またね」とは言わなかった。
家族に連れられて行くケイコさんの後ろ姿は、昨日見た後ろ姿よりも小さく見えて、少しだけ不安になった。きっとそれは、俺は悟ってしまったからだ。ケイコさんの死が近いことに。
「ケイコさん!!」
去って行くケイコさんを後ろから追いかけたのはひーちゃんだった。
「また一緒にオムレツ食べようね!」
「そうね、食べましょう」
「じいじとまた一緒に! 絶対だよ!」
ひーちゃんの言葉に、ケイコさんは何も答えず微笑むだけだった。それは、答えが嘘にならないように、できない約束をしないというケイコさんなりの優しさだったのだろう。
俺はケイコさんを見送るひーちゃんの隣に並んだ。ひーちゃんは強く手を握ってくる。見るとポロポロと目から大粒の涙を流しながら、けれど声は上げずにケイコさんを見つめていた。
「海斗」
「何?」
「また作ってよね、オムレツ」
「まかせろ」
ひーちゃんも幼いながらにわかっていたのかもしれない。もしかしたらもう二度とケイコさんには会えないということを。
「絶対だからね」
「約束するよ」