女性は、私の前にカフェラテを置く。そこには可愛らしいクマのイラストがラテアートで描かれていた。
「それと…、こちら、よろしければお使いください」女性は私にハンカチと小さなチケットを差し出した。
「すみません…。ありがとうございます」
ハンカチを受け取り涙 を拭いた後、チケットを見る。そこには
「カクテル10%OFF」と書かれていた。
「あの、これは?」
「こちらのカフェですが、19時からはバーになるんです。こちらのチケットは、 ご来店の際にスタッフに見せていただければ、お好きなカクテルを一杯、10 パーセント割引で提供致します」
「へえ。でも、いいの ?もらってしまって」
「はい。嫌なことがあった日のやけ酒は、大人の特権ですよ! あ、でもこちらのラテも、味わってください!」
女性のたどたどしくも温かい気づかいに、 ふっと笑みがこぼれた。こんなこともあるのか。
「そうね。じゃあありがたく頂戴するわ。あとこのラテアート、とっても可愛い。何から何までありがとう。あなたは優しいウェイトレスさんね」
そう声をかけると、女性は顔を真っ赤にして頭を下げた。
「ああありがとうございます!ではごゆっくり。あとハンカチはテーブルに置いていただければこちらで片付けますので」女性は早口でそう言うと、早足でカウンターへ戻っていった。私は改めてクマのイラストを凝視して目に焼き付けた。スマホがないので、こういうときに写真を撮れないのを思い出したのだ。心のカメラで十分シャッターを切った後、私はカップを口に運んだ。
「…美味しい」
夜になり、夕食を終えた私はその足でロビーに向かった。夕食はバイキング形式だったので、バーのことを考えて少な目にしたかったが、好物の蟹が目に入り 、ついつい食べ過ぎてしまった。
昼間は窓から日光が入り明るい雰囲気だったカフェは、ほの暗い、シックなランプが各テーブルに置いてあるバーに様変わりしていた。
私は店内に見とれつつ、カウンターへ腰かけた。向かいには、髪をオールバックにした細見のバーテンダーが立っていた。彼はメニューとおしぼりを私の前に置きながら
「いらっしゃいませ。 お飲み物はいかがいたしましょうか 」
と、深みのある声で聞いてきた。 私は財布から、昼間もらったチケットを出して、男性に差し出す。
「あの、このチケットで…、マリブコークをお願いします」
「かしこまりました」
男性はチケットを受け取り、カクテルを作り始めた。私はその間、カウンター席から振り返って、また掲示板の文字を追っていた。するといきなり、艶のある女性の声が私のすぐ隣で聞こえた。
「お隣、いいかしら」
「あ…、はい、どうぞ 」
あまりに美人だったので、一瞬見とれてしまった。 私は慌てて彼女から目を逸らす。
「いきなりごめんなさいね。私、201号室の多田。よろしくね、蟹ちゃん」