「いいよいいよ、途中で文字数をけちった俺が悪いんだ」
「そうよ、シュウジが悪い!」
と言うとまた夫が笑い、それを見た私も笑う。思えば地上がもつれてしまってからは、こんな風に二人で笑うことはなくなっていた。
「ねえシュウジ、私たち、どうしたらいいのかな」
「どうもしないよ」
ふわふわと空中に浮かぶシュウジの滑稽な姿と、似合わない真剣な顔を見ていると、なんだか寂しくなる。このホテルの中でプロポーズをしてくれた時も、夫はおんなじような顔をしていた。ものすごく綺麗な夜景に、料理もフルコースで、慣れないことをしてしまって落ち着かない様子の夫の挙動が可笑しくて散々笑った。笑うなと怒りながら、夫も笑顔だった。コースの食事を終えると、夫はおもむろに小さな箱を取り出して、蓋を開けると中には婚約指輪が入っていた。
「アッコさん、僕と結婚してくれますか?」
うん、と頷くと、夫は、あんまり高価なものは買えなかったけど、と言い訳しながら、私の薬指に指輪を嵌めた。
あの瞬間、私たちはものすごく幸福だった。もちろん一言で幸福と言ってしまえる状態なんて、もうこの世界にはどこにも存在しないのかもしれないし、これは世界が二つに分断されたからとかではなくて以前のように世界が一つのまま続いていたとしてもそうなのだけれど、それでも私たちは、きっとあの瞬間だけは間違いなく幸せだった。
「どうしてこうなっちゃったのかな」
「どうしてだろうね」
夫の方に手を伸ばす。もう少しで触れられそうな距離。
「ねえねえ、もう少し近くにこれないの?」
「ちょっと待って、もうちょい行けると思う」
と言って、シュウジが高度を上げて、と思ったらまた下げて、小刻みに高度を微調整しながら近づいてくる。
「いいよ、無理はしないで」
心配で声をかけたが、夫はやめなかった。徐々に徐々に近づいてきて、あと五メートル、三メートル、二メートル……。
「見て、ここまで近づいた」
「うん、なんだかすごい技術を手に入れたね」
「惚れ直した?」
「まあ、うん……」
こんなにも近くで夫の顔を見るのは久しぶりだった。夫の方へ手を伸ばす。今にも掴めそうな、夫の女性みたいに小さな手。
「あ、アッコ。手、掴んじゃだめだよ」
「え、どうして?」
「掴んだら引っぱられてアッコが落ちちゃうかも」
「そっか、たしかにそうだね……」
そうか、夫とはこれだけ近くにいながら、手を繋ぐこともできないのか。そう思うと、やっぱり二人は現実にきちんと向き合わないといけないのだと改めて考えさせられる。まさに今、かなり特殊な方法で二人は会えているけれど、たとえば夫の背中からボウボウと噴き出すガスの燃料が切れたら、私たちはすぐお別れなのだ。感慨にふけっている場合じゃなかった。
「ねえシュウジ、やっぱりもうやめようよ」
「え、この飛ぶやつ?」
「違う、結婚のこと。夫婦生活よ」
「どうして?」
「だって、こんなの普通じゃないもん。おかしいよ、こんなエンジン積んで、命がけじゃないと会えないなんて……」
私の言葉に、夫は下を向いて黙り込み、しばし沈黙が流れた。もうおしまいなのだ。私たちは。
「ごめんね、でもシュウジの気持ちは嬉しかった。だからもう、こんな危ないことはやめて……」