たとえばこれからの長い結婚生活の中で、私と夫との間の中で、俗にいう痴情のもつれといったようなものが原因による別れは、あのような男を人生の伴侶として選択した以上いつ訪れてもおかしくないと思って心構えをしていたし、それは結婚以前の彼を見ていれば自ずと想像できていた。なぜなら彼は交際をしてからこれまで一度や二度じゃなく、何度も浮気をしていたし、それがいざ結婚に真剣に踏み切ったとて彼の悪癖がすべてそこで治るとは思っておらず、治らないこともある程度想像もしたうえで私は彼の結婚の申し出を受けたわけで、だからそう、その痴情のもつれのようなもので彼との関係が終了してしまうことへの準備は端からできていた。まあでもこうして結婚に踏み切ったからには彼が更生できる可能性に露程も期待していないわけではなく、期待と諦念は、それらの感情を二分にわけるでもなくそれぞれの感情としてそのまま存在しており、私はその期待通りに生活が続くことにも、諦念していた通りに彼との生活にいつか終止符が打たれることに対しても準備ができていたのだったが、まさかその彼との別れが、「地上のもつれ」によって引き起こされるとは私もまったく予期できていなかった。
私たちの住むこの世界に地上のもつれが起きたのは今からちょうど半年前くらい。歯科助手として働く私は、自宅から徒歩で通える距離にある職場の歯科医院にいた。
いつものように患者さんの口の中を健診しているときに、それは突然訪れた。目を凝らして入念に患者の口内を覗いていると、突然大きな揺れが襲ってきて、視界がぐるりと回って天地が逆さまになり、けれども地に足はついていて、たしかについているのだけども感覚的にはさっきまで天だった方向に重力が向かっているという奇妙な感覚に陥り、なぜそれで天地が逆であると感じるのかは分からないのだが間違いなくそうだと直感的に分かる。そのまま揺れが止まらず皆が逆さまになった世界で医院の中はパニックになるのだが、やがて揺れがおさまると同時に視界は元の通りに戻って、混乱していた院内も平静を取り戻した。揺れがおさまったので、私たち従業員は速やかに外への避難を促した。患者も私たち従業員もなにこれなにこれと動揺を隠せないでいた。患者を全員外へ誘導し終えてようやく、私たち従業員も外へ出ようとすると、先に出ていた患者たちがビルから出てすぐのところで呆然と立ち尽くして空を見上げている姿が見えた。何を見ているのかと彼女たちの視線の先に目を移した瞬間、私は天地がひっくり返るほどに驚いて腰が抜けそうになったのだが、それは私がひっくり返っているのではなくて、言葉そのままに外の景色の天と地がひっくり返っていたのであった。地上が真二つに裂けて、もつれあうみたいに地面が天と地に二分化されていた。私たちが踏んでいる地面も地面としてそこにあるのだが、見上げた空の方にもまるで人口衛星から撮影した地上の写真みたく小さな街が浮かんでいるのが見える。いや、浮かんでいるのではなく単純に街の半分が私たちのいるこの地上とは別にもう一つ、逆さまに空の上で存在しているのだ。つまり私たちの住む世界は、地上がもつれて二つに分かれてしまったのだ。
「しかしまあつまらないSF映画じゃないんだからさ、お粗末すぎるよ、今時こんな設定」
「でも現実に起きてるんだから、つまらないとか言ってる場合じゃないわよ」
「まあねえ」