「できないよ、シュウジ揺れまくってるじゃない」
「平気平気、でもやっぱりこれ、おかしいね」
「何が」
「いや、もうかなり近くまで来てるのに、重力の向きが変わらないんだよ。途中で反対向きになるかなと思ってたけど……」
「あ、たしかに」
「せっかくここまで来たのに、これじゃアッコの世界にはいられないってことか……」
「そっか……」
落胆する夫であるが、今やもう数十メートル先、あと少しで手の届きそうな位置まで近づいてきていた。
「お、だいぶ近づいてきた、ここなら声も届くかな」
と言われ、携帯がプツっと切れ、夫がこっちを見る。
「アッコ!」
「シュウジ!」
ようやく声の届く距離まで夫がやってきた。
「ねえ、ちょっとさ、ビルの端の方まで来てくれない? このまま近づいたら、ビルの屋上に頭をぶつけてお陀仏だ!」
「え、なに、ビルの端?」
「そう! 早く来て」
夫に言われるがままビルの端に来ると、夫がここへ来いと行った理由が分かった。逆さまを向いて飛んでいる夫は、高度を安定させるのが難しいようで、ふわふわと上下に浮き沈みしながら、私のいる屋上を通りすぎて下へ行ってしまったり、反対に上に行ってしまったり、不安定に、目まぐるしく空中を飛び回っている。
「よかった、やっと顔が近くで見えた!」
「うん、でもすごい揺れてるよ!」
「ちょっとまだ操縦が難しいんだけど、近づいてみる」
「危ないよ、もうやめときなって!」
「やめないよ! あ、なんか上の方がすごいことなってる」
「上?」
と訊き返し、空を見上げるが何も見えない。夫は高度を上下に激しく動いているので声が途切れがちになる。
「いやごめん、アッコから見たら下だ!」
「え?」
「下! 下を見て!」
夫の声がようやくちゃんと聞き取れて、ビルの真下の方に目線を移すと、信じられない光景が目に入ってきた。
「げ、なにこれ」
「見えた?」
「見えたよ! なんなのこれ?」
ビルの真下に私が見たのは、私と夫のことを見物しするために集まった沢山の人だかり。野次馬だけかと思っていたら報道番組のリポーターらしき人も来ているし、よく見たら下だけじゃなくて上空にも報道取材用のヘリコプターが飛んでいる。あ、自衛隊や消防車まで! うそ、どうしよう。夫が反対側の地上からやってきたことがいつの間にか周知されていて、世間を巻き込んだ一大事になっているようだ。
「すごいことになってる……」
「まいったな、俺、有名になっちゃうね」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないわよ……」