私たちは顔を見合わせて、それから、なんだか面白くてたまらないような気持ちになって、二人して笑いながら布団を敷いた。そうこうしているととうとう眠くなってきて、紫陽花の花が外で綺麗に咲くのを見ながら二人、妙にくっついて眠りについた。
夢のなかで私は五歳くらいの幼い子供だった。雨上がりの森の匂い。苔の生えた岩や歌うように鳴く鳥、虫の羽音、木漏れ日の暖かさ。そういうものが奇妙なほどリアルに感じられた。
「ねえ、こっちへおいで。ほら、もうこんなに藤の花が咲いている。きれいね」
その声を聞いた途端、私は全てを、いっそ鮮明すぎるくらいにはっきりと思いだした。それは母の声だった。
母は父と喧嘩をするとよく私を外に連れ出した。母は森が好きだった。あおあおとした自然の中を歩くととても良い気持ちになれるのだとよく言っていた。
「ねえ、お母さんと一緒に行こうよ。お母さんの恋人はね、猫を飼っているの。ふわふわのやつ。お父さんみたいに猫アレルギーなんかじゃないんだから」
その言葉に、もうどうにもならないくらいの悲しみややるせなさが溢れていることに気がついて、幼いながらに苦しくなったのを覚えている。本当は母だって猫なんてどうでもいいのだ、きっと。けれど母はもうどこにも戻れない人の顔をしていた。私は母の手をぎゅっと強く握った。
「お父さんとお母さんと、お母さんの恋人と私の四人では暮らせない?」
私が言うと母は悲しそうな顔で笑った。とても残酷な質問だったと思う。母にとっても、私にとっても。
「ねえ、あなたのことが本当に可愛くてしょうがないの。自分のことなんてどうでもいいくらい可愛いのよ。だからお母さんと行こうよ。なんだって買ってあげるから」
母の冷たい手がそっと離れて、それから痛いくらいに強く抱きしめられた。甘くお酒の匂いがした。母はそれから、信じられないくらい大きな声でわんわんと泣いた。静かな森に、死んでしまいそうなくらいの悲しい泣き声だけが響いていた。
母の涙は燃えるように暑かった。私は、母と離れたくない!と強く思った。このまま母と二人で森に住んだらいい、と思った。森の美しさや、母のいっそ恐ろしいくらいの熱量を持った悲しみの波が幼い心を深く傷つけた。
「お母さん、本当はどこにも行きたくないの。けれどここにいるのも苦しいのよ。だから行かなくてはならないの。でも、あなたのことが、あなたのことだけが気がかりなの。ねえ、だから一緒にいようよ」
「うん、一緒にいよう」
私たちは森のなかでしばらくそうして抱きしめあった。やがて父が息をきらして探しにきて、私は奪われるように手を引かれて家に帰った。その後もしばらく泣き続けて父を困らせたことをよく覚えている。あの時、一番泣きたかったのはきっと父だったと思う。父は母をとても愛していた。私はそれを、幼いながらによく知っていた。
私は覚醒しかけの意識のなかで、誰かに頭を優しく撫でられているような気がした。小さな子供をあやすかのようなその手つきが妙にくすぐったくて、それから、なんだか胸がいっぱいになってしまって、悲しいような、可笑しいような、そんな微妙な表情を浮かべた。
目が覚めると友人が体育座りをして泣いていた。
「なに、どうしたの?」