「ごめんね、覗くつもりはなかったの。けれど本当に優しい夢を見たわ。あなたが女の人と森を歩く夢。でも私、なんだか寂しい気持ちになってしまって」
「ばかだなあ、なんであんたが泣くのよ」
言いながら私まで切なくなってきて、二人してわんわん泣いた。私は霧深い森を一人で歩いて行く母の背中を思い浮かべた。恋人とはその後、どうなったのだろう。どうして私はこんなにも綺麗に母のことを忘れていたのだろう、と考えて、きっと本当に悲しくて、幼い心には耐えられなかっただろう、と思った。
お坊さんが冷たい麦茶を持ってきてくれたので、すっかり泣き疲れて喉がカラカラだった私たちは、一気にそれを飲みほした。
「もう大丈夫でしょう。奇妙な夢を見ることもきっとありませんよ」
お坊さんはそう言うととても優しく笑った。私は何かとても効力の強いお守りをもらったような気持ちになった。
お寺を出ると辺りはすっかり人で溢れていた。私たちは静かに歩いた。ゆっくりと。街が営む生活に溶け込むように。
「お母さんに、会いたいとは思わないの?」
友人が珍しく真剣な顔でそんなこと聞いてくるものだから、私はなんだか可笑しくなって少し笑ってしまった。
「わからない。でも、多分会わないと思う。会いたいとか、会いたくないとか、そういう感情は抜きにして。それで、向こうも多分、会いにこないと思う」
「ふうん、そっか」
きっともうあの夢を見ることは二度とないだろう。母も私も、お互いのことをたまに思いだしながら、悲しい気持ちではなく、少し寂しさの雑じった、けれどとても優しい気持ちで生きていく。
私は、森のなかを歩くような慎重な足取りで歩きながら、そう思った。