霧深い森の中に美しい女の人がいる。その人はちょっと怖いくらいハイになっていて、幼い私の手を引く。ここ数週間私は、疲れがたまったりするといつも同じ夢を見た。その夢を見たときは決まって悲しい気持ちになってしまって、何をするにも上の空になってしまう。
「それきっと幽霊だよ、幽霊。ねえ、鎌倉に行こうよ。お寺とか神社巡ってさ。御朱印集めしよ!」
夜中の一時をまわった居酒屋で、顔を赤くした友人はにこにこ笑いながらそう言った。私はもうすっかり水分が飛んでぱさぱさになった枝豆をつまみながら、相談する相手間違えたかな、と思った。私が黙っていると彼女は「あなたはね、疲れているのよ!」と言ってあははと笑った。私は彼女のこの能天気さのようなものが好きだ。押しつけがましくない、かといって距離があるわけでもない心地の良い暖かさがある。私にはそれが、とても上品で良いもののように見える。
「御朱印かあ、最近流行っているよね」
「うん、そうよ。私も集めはじめたの。ね、ね、いいでしょう。なんなら今から行こう。朝になったら始発電車に乗ってさ」
「今から?」
冗談でしょう、という意味を込めて笑ってみせても、友人はむしろやる気満々で時刻表を調べはじめた。「四時四十分の始発に乗れば、五時四十分には着くよ!」と嬉しそうに笑っては、ぬるくなったビールに口をつけた。
酔っ払いの冗談だと思っていたのに、朝になると彼女は本当に私を連れて鎌倉行きの電車に飛び乗った。まだ薄暗い初夏の朝、スーツを着たサラリーマンも既にちらほらと見受けられる中、酒の残り香を漂わせて笑う私たちは明らかに異質だった。気持ちの良い朝の空気にちっともそぐわない毒々しさのようなものを放っていたと思う。
すっかり酔いも覚めた私たちは、しかし夜通し呑んでいた事実にはあらがえず電車の中でこんこんと眠りこけた。次は北鎌倉、というアナウンスでようやく起きた私は、だらしなく口を開けて眠る友人の肩を揺らして起こした。
「ねえ、北鎌倉だって。鎌倉通り過ぎちゃったんじゃない?」
「いや、北鎌倉の次が鎌倉だよ。ああ、よく寝た!」
降り立った鎌倉の駅は、当たり前だが観光地とは思えないほど静かだった。賑やかな姿しか見たことのない私はなんだか奇妙な気持ちになった。
私たちは早朝から営業しているカフェに入ってコーヒーを飲んだ。朝の眩しい日差しに照らされた町並みがなんだかとても美しくて、なぜか泣いてしまいそうになった。私はこういう、人が当たり前に息づく生活のなかで、不意に見せられる美しさのようなものにとても弱い。
目の前で眠そうな顔でコーヒーをすする友人は、しかし食欲だけはあるのかサンドイッチをもりもり食べていた。あんなにお酒を飲んだあとなのによく食べられるなあ、と感心した。
「ねえ、あの人たちみんな、今からお仕事に行くのね」
口元に食べカスをつけながらとぼけたように友人が言った。
「そうね。私たちも卒業したらああなるのね」
「なんだか怖いなあ。私もあなたも、めちゃくちゃわがままじゃない?こんな風にさ、急に鎌倉に行きたくなったらどうするんだろう。私、今みたいに変わらず、お仕事さぼっちゃう気がするなあ」