私たちはそれからしばらく歩いて、途中で野生のリスに遭遇してちょっと嬉しくなったりしながら、目指していたお寺に到着した。紫陽花寺として有名なのだというその場所は、確かに一面色とりどりの紫陽花が咲いていて、しかもそれが水やりをした後だったからなのかキラキラ光って見えて、美しかった。この世のものではないみたいだった。
友人が御朱印を貰っている間、私は広い境内を散歩することにした。木造の古い階段をなんとか登りきると、途端に一面に光が差した。海だ。朝の光を浴びた海が、とんでもない濃さの光を放っていた。
遠くに江の島が見える。夜の役目を終えて静かに息づく灯台や、地平線に帆を張って浮かぶヨット、そして、徐々に生活を営みはじめる町並。私はなんだか圧倒されてしまって、しばらく黙ってそこに立っていた。
御朱印を無事貰い終えた友人が階段を登り終えてきたので、二人でなんとでもない話をしながらベンチに座って海を眺めた。幸福、という言葉が脳裏をよぎった。私たちは朝の陽ざしの中で何かに守られているかのように穏やかな時間を過ごした。
「あ、ねえ、さっき御朱印貰った時にね、お寺の人にあなたの話をしたら、後で話を聞いてくれるって」
「え、なにそれ?どういうこと?」
「よくわかんないけど、少ししたら下の事務所に来てくださいって。よかったじゃん」
けろっとした顔でそう言ってのける友人のパワーに圧倒されるかのように、私は「よかった、のか?」と首を傾げた。なんだろう、話を聞いてくれる、って。お金とられるのだろうか、とか不安に思いながら。
お寺の事務所は木造で、小ぢんまりとした一軒家のようなものだった。清潔感があってどこか懐かしい匂いがするその場所は、私の緊張した気持ちをほっとさせた。
「ああ、あなた何かとても執着の強いものが憑いていますね」
中年のお坊さんは私の顔を見るなりなんとでもないことのようにそう言って、それから「これ、どうぞ」とお茶をさしだしてきた。私はあまりに面喰ってしまってとても間抜けな顔をしていたと思う。友人の顔を横目で見ると、同じように間抜けな顔をしていた。
「ど、どういうことですか?幽霊が憑いてる、ってことでしょうか?」
「いや、幽霊というか、生霊だね。でも、悪いかんじはまったくしないなあ。多分、相手の人、ここ最近あなたのことを何かの拍子で思いだしたんだと思うよ。それはね、普通の、何気ない動作の一部のようなものだったんだけれど、何か一つ思いだすたびに、まるで木の葉が風に揺さぶられるように広がって、思い出に浸り過ぎてしまっているんだと思う。それで、あなたのことを考えるあまりに、あなた自身にその強い念が届いてしまって、繋がりを持ってしまっているんだね」
「どうしよう……その繋がりを、絶った方がいいですか?どうすれば絶てますか?」
「うーん。あなたが怖い、と思うなら、そういう手も打てるけど。相手の人に心当たりはある?」
「いえ……」
「そう。それよりあなたたち、眠そうだね。布団敷いてあげるから、少し休んでいきなさい」
「えっ?」
私は驚いてお坊さんの顔を見た。なにかとても強い信念のようなものを感じた気がした。まるで、そうすることで全てが解決するとでもいうような口ぶりだった。
外からちらほらと参拝客の声がする。お坊さんはそれを敏感に察知したかのように立ち上がって「隣の部屋に布団あるから、それ使って寝なさい。二時間くらいしたら戻ってくるから」と言った。