ほんと、ジョウさん美容師だね。俺は囁いた。
髪の毛を触っていたジョウさんが我に返ったみたいにごめんごめんって言って手を引っ込めた。
翔ちゃん俺、美容師向いてないんじゃないかなって。店長にまでなって今更だけどさ。
今日の店長会議が、かなり堪えてるんだな。
力なく微笑んだジョウさんの目じりに夕日が当たっていた。
ジョウさんはなにかを思いだしたみたいに、この間翔ちゃんのパパに会ったよ。
って言った。
俺は、その話がどこかで出てくるんじゃないかって若干緊張しながら、知ってるよって答えた。
ジョウさんは俺の高校の卒業式にも来てくれた。
その時にみんなで撮った写真を親父に預けてくれて、この間その写真を受け取ったばかりだったのだ。
ありがとう、ジョウさん。あの写真は大事にしまってある。
会話の凪が訪れた。
あれからパパさんどう? 元気にしてる?
そのことが聞きたかったんだなって俺は思った。
うん、元気そうだけどさ。パッケージとしては元気そうだけど、あれ以来あまり元気ないかも。
それを聞いていたジョウさんは軽く息を吐いた。
僕もね、そうなんだよ、なれないって言うかさ。いつもみんな週末には会ってたでしょ。
食事したり映画観てごんごん泣いてさ。それがあの病のせいでぽっかりあいたら、ぽっかりのままになっちゃって。
ぽっかりを埋めるのはもしかしたら今日かもしれないと俺は瞬間的に思った。
そして思い切りジョウさんに提案した。
「ジョウさん、久しぶりに俺の髪切ってよ」
ジョウさんの店は俺のバイト先のデパ地下から歩いて5分程のところにあった。この辺りは駅前でも美容院の激戦区でいままでもいくつもの店が次々に潰れては街の顔を変えていった。
その点、ジョウさんの店は大きなフランチャイズらしく今のところ健在で、それなりにお客さんもついているらしかったけど、それはそれで厳しいらしかった。
空になった美容院はひっそりとしていて、鏡の間のようにどこか落ち着かなかった。
「好きなところ座ってよ。コーンスープとか飲む?」ってジョウさんが言ったから、今どきそれトレンドなの?って笑った。
そしたら客にはださないよ、俺用だね。
なにげなく窓側の席から2番目の場所に座ってみた。
鏡に映るネオンサインばかりをみていた。
ジェリービーンズみたいな光が、夏の夜空にちりばめられてぜんぶ空に滲んでるみたいにみえる。
ジョウさんがコーヒーカップに入れたコーンスープを持ってくるとき、翔ちゃんもその席すきなんだねって、意味ありげにわらった。
俺は回転する椅子のまわりをみて、不可思議に想いジョウさんをみた。
「その席、好きなんだ。はじめてパパさんが来た時もそこだった。親子だねぇ。いっぱい座る場所があるのにさ、そこがいいなんて。みんな端っこ選ぶんだよ無意識に。なんか守られたいみたいだからかな?でもパパさんと翔ちゃんはそこなんだ。おもしろいね」
親父がここに来たことがあるってその時はじめて知った。
ネオンの写り込む鏡の前に向かってしゃべるジョウさんは、なんかとても遠い人のように思えて、じっと黙っていたら大丈夫だよタダでやってあげるからって笑う。
いいよいいよ、俺が切ってほしいんだから。ちゃんと払うってば。ただなら切ってもらわないからって俺は言葉を被せた。
むきになるところ似てるねってジョウさんはわらった。
軽くシャンプーしたあと、もういちど椅子に座ると。じゃ、翔ちゃんハサミを入れさせてもらいますって神妙な表情で俺の髪を切る音が耳元でした。
小気味いいハサミの音が耳の側で聞こえる。ちょっとだけ過去になやんだ時間を携えていた髪が、ばさっと床におちてゆく。おちつかない獣の尾っぽが、しだいにおちついてゆくような。あたらしくうまれかわったような。
商店街のネオンの映りこむ鏡に向かってしゃべるジョウさんは、なんだか夢のなかの人のように思えてきた。