私はその写真をおばさんに見せた。
「あら、それかぁ。かなりバッサリだけど良いのかな?」
これまでのやり取りから二つ返事でカットが始まるかと想像していたが違った。むしろ渋っているのが鏡ごしに分かった。
私が「はい」と回答すると同時にドアが開いて、来客を知らせるチャイムが鳴った。
おばさんが振り向いたので、思わず私もそちらを見た。
髪を紫に染めたお婆さんが立っていた。予約していた人だろうか。
「あら、シズカさん。どうしたの?」
「サーモン貰ったからお裾分けに」
「ありがとうございます。いつもすみません」
お婆さんは客ではないようで安心した。鏡ごしにおばさんがビニール袋を受け取っているのが見えた。
「冷蔵庫に入れた方が良いよ」
「そうね。お姉さん、ちょっと待っててね」
おばさんはそのまま奥に消えた。
お婆さんは、よっこいせと待合用の椅子に腰掛け、私に声をかけて来た。
「お姉さん、ここ初めて? 表の看板見た?」
「はい」
「本当はここ『もね』って名前なの。でも、いつのまにか『も』の横棒二つと、『ね』の丸がなくなって、『しわ』になっちゃったのよ」
お婆さんが笑った。
「直さないんですか?」
「そう思うよね。当時の娘さんが気に入っちゃったから、そのままなのよ。みやちゃん、女で一人で育てて可愛かったのよの」
あの美容師のおばさんが『みやちゃん』であることが分かった。そして、その娘に『当時』とつけるのがどうも不思議だったので思わず尋ねた。
「亡くなっちゃったの。あ、年寄りは口だけが動くからいけないね。お姉さんの隣の席に『予約席』ってあるでしょ?」
おばさんが戻って来た。
「静香さん、何話してんの? 静香なのは名前だけなんだから」
「ああ、ごめんごめん。それじゃまた」
おばあさんは出て行った。
「お待たせしました。始めようか。カタログ借りて良いかしら?」
「あ、はい」
私はおばさんにカタログを渡した。
おばさんは老眼鏡をつけたり外したりして、しばらくカタログと睨めっこをしていた。
「ごめんなさいね。この髪型見るの久しぶりで。まだやったことはないの。あ、携帯とか大丈夫? カットしている間」
「大丈夫です」
「オッケー!」
おばさんは意を決したように私の髪にクシを入れ、ハサミを動かした。
私は目を瞑った。
おばさんの呼吸音とハサミの音が聞こえる。おばさんの指先が頭皮にも時々触れて、その一瞬だけが温かい。