そういうと女性は私に背中を向けて準備を始めた。私は二つ並んでいる椅子のうち玄関に近い手前の席に向かった。
その席の座る所に『予約席』と書かれたプラカードが置かれていた。
「ごめんね。そこはあれなの」
「あ、はい」
予約しなければならない程、混雑するとは思えないが、万が一に備えて予約をする人もいるのかもしれない。
なるべく人には会いたくないから、この予約をしているお客さんが来る前に終えたい。
もう一つの席に腰をかける。正面の鏡に冴えない私の姿が映った。
「どうします?」
腰にハサミをぶら下げたおばさんが私の毛先に手を触れた。
「えっと」
特にこれと言った希望はない。強いて言えばスッキリしたい。素直にそれを伝えた。
「じゃあ、坊主にしよっか」
「え」
「うそうそ」
おばさんは笑った。
確かに坊主頭はスッキリとする。だが、最後の髪型が坊主というのも…。でも誰に見られるわけじゃないし。
「ま、とりあえずシャンプーしよう」
おばさんに促され、シャンプー台に移動をした。仰向けになって顔面にタオルが置かれ、視界が塞がれた。タオルが縦に置かれたので中国のゾンビの映画を思い出した。まるで死人だ。蛇口がひねられ、シャワーの音が聞こえ始め、おばさんが温度を確認するのが分かる。
「熱かったり、大丈夫?」
頭に湯がかけられる。ちょうど良い加減だ。
「はい」
シャンプーが満遍なく頭にかけられ、シャンプーが始まった。おばさんの案外と太い指が頭と髪を包み込み、リズミカルに優しく動く。
気持ち良い。
これがずっと続いて欲しいくらいだったけれど、シャンプーは洗い流され、おばさんに手を添えられて頭を上げた。数年ぶりの美容室だけれど、頭を支えられながら起き上がる瞬間、いつも不思議な感覚を覚える。この人に支えられているような安堵。
「さて、どうしようか」
おばさんは腕を組んで私の頭を見ている。
「何かヒントないかな? スッキリって一口に言ってもねえ」
「適当で…」
本当にこれしかないのだ。適当に見苦しくない程度になれば良いのだ。
隣の席の鏡の前にヘアカタログがあるのが分かった。
「すみません」
私は腰を浮かして、そのカタログを手にした。埃こそ被っていないが、中々年季の入ったカタログだ。パッと自然と開かれたページを見ると『ミディアムボブ』のページで、その髪型のモデルが片面に四人程載っている。そして、その一つに赤い蛍光ペンで丸が囲まれていた。きっとここのお客さんがオーダーをしたのだろう。今の私の長さから、だいぶ切ることになるが『スッキリ』という意味ではぴったりな気がした。
「これでお願いします」