ある時田中君と会計時に少し話をしてから店先までお見送りをした。一緒にスタイリストの黒田さんも出てきた。田中君は軽くお辞儀をして後は振り返らずまっすぐ進んでいった。黒田さんと、田中君の後ろ姿を見守った。
「あのお客様は山内さんの彼氏?」
黒田さんが尋ねた。
「えー、違いますよー」
私は笑いながら否定した。黒田さんは、低い声で「それはよかった」と言った。背が高いので表情は見えなかった。
「え、田中君、そんなに悪い人じゃないですよ」
私が言うと、黒田さんは一瞬ぽかんとしてから「あー、違うよ、山内さんに彼氏がいなくてよかったって言ったの」と言い捨て、お店に戻っていった。田中君の悪口を言ったと思いきや、どうやら軽く口説かれていたようだ。
黒田さんは背が高くおしゃれな髭を生やした人気スタイリストで女性のファンも多い。そんな人が私に声を掛けてくるのは不可解だった。どきどきする一方でこんなに見栄えが良い人と付き合うのは嫌だなぁと思った。うまく結論が出なかったので、半分忘れて過ごしていたら、LINEが来て、食事に行くことになった。
黒田さんはやはりかっこよすぎて食事はそんなに面白くなかった。話す内容もまじめでかっこよくて隙がなかった。『なんで私なんかと』と1分おきに思った。黒田さんはなんとなく少しも乗り気にならない私に焦っている気がした。黒田さんの話を聞きながら私は、いつからスクールカーストの上層にいるような人といても緊張しなくなったのだろうと思った。黒田さんは手ごたえを感じなかった為か特に何も言うことなくその夜は別れた。
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田中君とごはんを食べる頻度は少し上がっていった。田中君はよく会社や前の奥さんの文句を言っていたが、子供の作文みたいに平板な物言いでこだわってるんだか、こだわってないんだかよくわからなかった。さすが校庭で花火を上げちゃう人だなぁとそのあたりは感心した。
「私だったら、親友が奥さんと不倫したら発狂するけど、淡々としていてすごいね」
「親友じゃない。幼馴染」
田中君は訂正した。
「俺だって怒って『何やってんだ!』って言ったよ」
「そしたら?」
「『せっくす』って答えた、そいつ。バカバカしくなって会話終了したよ」
「すごい強者だね」
「あぁ、おかしいんだよ。あいつ。友情って知ってるか? って説いたけど、言いながら俺もふざけていたから同じ穴のムジナかもしれない」
「えー、びっくり」
「そう?」
「田中君が同じ穴のムジナなんて言う表現を知ってることにびっくり」
「あー、そっち? いい表現だよね。俺よく使うよ」
「へー」
田中君との会話の内容は下らなかったけど、楽しかった。田中君とつるみ始めると他の人とつるむのが少しつまらなくなった。きれいな氷で作ったウィスキー・オン・ザ・ロックのように田中君との一瞬一瞬はきれいで透き通った色彩のある時間だった。私はいつしか田中君がとても好きになっていた。
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