私は言い淀みながら田中君の真意を探った。茶化しているような顔つきではなく、どちらかと言うと真顔だ。
「俺、まだ東京来てまもないから、ここ以外東京の美容院知らないけど、こんな店地元にないもんね」
「いやー、町中に行けばなくもないんじゃない…ですか?」
「そうかなぁ。しかも東京って床屋さんないんだね。俺営業で髪の毛こざっぱりしていないといけないから、毎月美容院で5000円近くとられるの結構痛いよね。まぁ、しゃーないか」
田中君はわりと唐突に晴れ晴れとした顔で笑った。私は突っ込んだり言いたいことがたくさんあったが、何にも言えなくなって曖昧に笑みを浮かべた。
「あ、今度よかったら飲みに行こうよ。こっち全然知り合いいないんだ」
「いいけど…」
田中君に言われるままに携帯番号を交換して別れた。スクールカーストにおいて田中君クラスのヤンキーはトランプのジョーカーみたいなもので同じ世界にいながら別次元の存在なので、時を経て飲みにいくことが不思議で、一瞬光栄に思った。でも光栄に思った後、スクールカーストの内にいる自分の名残を感じて嫌な気分になった。
田中君はお店を出るとすぐに予定の確認を送ってきた。私はお店のすぐ近くにある居酒屋を指定した。まだ田中君のことを信用しきれなかったから、なんとなく職場の近くにしてプライベート感を薄くしたかった。
初めての飲み会で田中君がホテルの営業をしていることを知った。元々地元の小樽のホテルでアルバイトをしていたが、一昨年社員登用し、先月より法人営業部に所属するようになり東京にやってきたのだと言う。
「ケガの功名っていうやつだと思う」
田中君はビールジョッキを手ににやにやしながら言った。
「俺、18歳で結婚して、相手がお嬢様だから、ちょっと運送系の自営業の仕事始めて、お金を貯めて21歳で家を買ったんだけど、その直後に妻の浮気が発覚して、挙句家から追い出されちゃって離婚したんだよね…」
「それはかわいそうだね…」
「それでその浮気相手が俺の会社で副社長やっていた幼馴染で、もうすっかり嫌になっちゃってさぁ。会社もやめちゃったよ」
「それはそれは…」
「そこから小樽市内の全国チェーンのホテルでアルバイトとして住み込みで働き始めてまぁ今に至るっていう。本部の人に東京に引っ張ってきてもらえてラッキーだよ。俺は単身東京に行く勇気はなかったし、正直その発想すらなかったしね。でもやってきてみると東京来てよかったって思うよ。東京は別世界だね。都会で楽しいよ」
田中君は自己完結した表情を浮かべ、静かにビールを飲んだ。田中君はこざっぱりとしたきれいな顔をしながら、老犬のようにどこか疲れて見えた。その老成した表情は魅力だった。疲れたふりをする人はいるけど、本当に疲れた人は疲労について語らないか、すごく適切に語る。田中君はもちろん前者だった。
田中君は私の話も聞きたがった。私は高校卒業後に札幌の美容専門学校に行き、東京郊外のチェーン店で下積み後、代々木上原にある今のお店で働き始めたことを話した。田中君の後に話すとだいぶつまらない話に思えたが、田中君は熱心に聞いてくれた。
田中君は礼儀正しく、裏のない、気持ちの良い人だと思った。私は前の奥さんが田中君以外に火遊びをしたくなった理由も、職場の人にかわいがられてアルバイトから正社員になれた理由もなんとなくわかるような気がした。
それから私たちは定期的に飲みに行く仲になった。
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