めぐみの話をよそに男は炭酸水をのど元に一気に流し込んだ。そうでもしていないとこの状況をうまくの飲み込めない。‘あおい’?乗り物?子供?そして、
「改めましてめぐみの母のトキ子です。もう蒲田には 50 年近くすんでましてね。ささ、私は気にしないで、遠慮しないでどうぞ座って座って。」
そういわれても気にするなと言われる方が無理である。
めぐみ一人だけでも緊張から何も話せないでいる男の前に、子供そして、めぐみの母親となってはあまりの情報量の多さに頭がくらくらしてくる。
「私、今は母と二人であの子を育てているんです。スナックのママさんにも理解してもらっていて、あおいの寝た時間から大体お店に入ってやりくりしています。まだあの子も小さいから今はこのままの生活でいいのですがこれから学校のはじまる年になると養育費もかかってくるようになりますしいつまでも父親がいないっていうのは活発なあの子にとっていいことだとはあまり思ってないので再婚には前向きなんです。ただお金の面で私もまだ不安もあってこんなこと聞いては失礼かと思いますがご職業や年収を教えていただけませんか」
そんな男の状況に関わらずめぐみはガンガン話しかけてくるのだが、男にはその内容があまりにも現実的すぎて頭に入ってこない。養育費?父親?再婚?
男はようやく飲み込んだはずの炭酸水が腹の底からまた上がってくるような感覚に襲われ思わず腹を抑えた。そして、めぐみに一度断りを入れてから席を立つとトイレへと駆け込んだ。
めぐみは男が思っていたような娘ではなかった。店ではまだあどけなさが残るように見えた顔も、昼間にこうして特にあおいといるときのめぐみは母親の顔をしていた。そして、めぐみの母であるというあのトキ子。
トイレから出てきた男は真っ青な顔をしていたのだろう。
「お答えは今すぐじゃなくて大丈夫です。少しずつお互いを知っていけたら。」
そういうとめぐみはお店にいるときと同じ笑顔を男に向けたので少し安心した男はめぐみに笑い返そうとしたが、その時めぐみの隣にいるトキが男の顔をぬっと除きこんでいることに気が付いてしまい、その笑顔もひきつったものになってしまった。
次の日、男は重い体を引きずるように職場へと向かった。この間まで感じていた身体の軽さはもうなくなっていた。このころになるともう男の恋のことは職場でも有名な話題となっていたため皆口々にデートはどうだったかと男に詰め寄ったが、男は何も答える言葉が浮かばず、ああとかうんとか気のない返事を繰り返し自分の席へと座って淡々と事務作業を繰り返していた。と、その時だった。職場の扉が勢いよく開かれたかと思ったら、明日香が入ってきて男の前に立ったかと思うと大きな声を出しながら泣き出したのである。
「もう私バイト辞めます。もうやっていけません。」
そういってなおも泣き止まぬ明日香の声はフロア中に響き渡る大声である。