散歩を口実に、昼間でもスナックへと足を運んでしまうほどである。よっぽど、あのめぐみのことが気になって仕方がなかったのだろう。しかし、シャイな男の事であるから、無理に飲みに行けど、ほとんどめぐみとはしゃべれずに注文した枝豆がすべてなくなるとすぐに帰ってしまうのであった。それでも男にとっては、カウンター越しにめぐみをちらと見られるだけで幸せだったのである。毎日やはり身体が軽く感じられ、今までのいろあせた日々は鮮やかになり、男は夜が楽しみで仕方がなくなっていた。そして、そんな日々が続く中で、次第に仕事中であっても上の空でぼんやりしてしまうことが増えていき、そうかと思えば急に時計を見てはソワソワしてみたりとなんだか怪しい。おまけに今までは地味な色の多かったネクタイの色は、若々しい色へと変わり仕事終わりには鏡の前でそのネクタイの調子をしきりに気にしているのである。この様子に会社の部下たちは怪訝に思わないはずはなかった。皆ひそひそと話あったりしていたが、その変化がまさか恋だとは誰も思わなかった。ある一人を除いては。
「絶対恋ですよ、恋。」
男が会社を出た後、皆が噂しているとそうして割り込んできたのは、近くの大学に通うアルバイトの永山明日香である。その言葉にまさかそんなはずはないと皆口々に言ったが明日香が意見を曲げることはなかった。
「絶対恋!私が証明して見せますよ!こういうの大好きなんです!」
そういうと明日香は、軽い調子で茶色に染めた髪をなびかせ、いたずらっぽくにっと笑うと跳ねるように男の出た後をかけていったのだった。
男は職場のある「ぽぷらーど」から、「くいだおれ横丁」へと急いだ。その距離はほんの 10 分ほどであったが、今の男にはその距離ももどかしい。信号に足を取られてあくせくしていた時、聞き覚えのある声がした。
「お疲れ様です!」
元気なその声の主は紛れもなくあの永山明日香のものだった。明日香は男の後をつけてきていたのだ。
「そんなにびっくりしなくてもいいじゃないですか!私ですよ。バイトの永山です。」なおもあたふたする男を無視して明日香は一方的に話を続ける。
「こっち、駅と逆方向ですよね。どこに行くんですか?」
どこに行くんですかと言われて、男はなんて言っていいのかわからなかった。どこに行く、自分はどこに行くといえばよいのだろう。ちょっと飲みに?それともめぐみに会いに? 男が妙におどおどしながら何も言えなくなっていると、明日香は急に分かったというような顔をして、男の腕をひっぱり信号を渡り始めた。
「わかった。言えないのなら、今日は私に付き合ってください。一杯飲みたい気分だったんですよー!」
そうして、男は明日香に連れられるままにイタリアン風のバーへとやってきていたのだった。蒲田にもこんなおしゃれなお店があることを知らなかった男は、さすが女子大生は違うなと感心してしまっていた。そして、なんだかわけのわからぬうちに、明日香はマルゲリータとモヒートを、そして男はハイボールとを注文させられてしまった。
「最近、何かありましたよね。」
運ばれてきたモヒートを一口飲むなり明日香は確信に満ちた目で男に切り出した。
その目があまりにも真剣そのものであったため、男は何のことを言われているのかさっぱりわからずにいたが明日香が加えて「例えば恋とか。」と言った時には、思わず口に含んだハイボールを噴き出してしまうところであった。