いつも冷静な沢本さんらしくない顔が俺の酔を僅かに覚ました。
「オレはサラリーマンやった事がないので、意見を言う資格なんてないかもしれませんが、友達としてひとつ言ってもいいですか?」
八百屋の浩二さんが項垂れる俺と沢本さんに遠慮がちに言った。
「友達なんだから、言ってもいいよ!ねっ?森田さん」
こうゆうとき相原君の可愛さに救われる。俺と沢本さんは目を合わせてから二人一緒に頷いた。
「オレの店に飾ってある額縁、見たことはありますか?」
「額縁?」
珍しく川口さんがハテナマークの声で言う。
「オレのじいちゃんが書いた格言みたいなものなんですけど」
そう言って浩二さんがスマホで撮ったその額縁の画像を見せてくれた。
(節目が来たら気概を持って進め。されば、そも楽し!)
俺と沢本さんは思わず顔を見合わせた。そしてどちらからともなく(ふっ)と笑みが溢れた。
「き?き・が?何ですかそれ?」
相原君ひとりが格言を理解出来ずに頓珍漢な顔をして言う。
「きがいって読むんですよ。気概とは(困難に立ち向かう強い意思)って意味です」
川口さんが丁寧に説明すると相原君は(ほうほう!)と言って頷く。
「オレもあんまり深く意味を考えた事はないんですけど、森田さんにとって節目が来たから次に進めるって事じゃないですかね!アジの三枚卸しをやった時みたいに強い意思があればきっとまた今みたいに楽しい時間が始まりますよ」
やさしい笑みで言う浩二さんは、商売が上手くいかなかった時にその格言をいつでも思い出せるようにって、奥さんが画像にしてスマホに入れてくれたんだと言った。
月日は瞬く間に流れ三月、妻が田舎から引っ越しの手伝いにやって来た。
「ねぇ、夕飯どうする?もう今夜は料理できないわよ」
すっかり片付いたアパート。ベランダの野菜の鉢植えも先週相原君に譲った。書き溜めた料理本も段ボールの中に納まって布団と歯ブラシだけが残された部屋はガランと音がするほどに大きな空間に思えた。
「今夜は、友達が一緒に食事をしようって。もちろん奥さんも一緒にって」
「友達?会社の人?」
「いや、会社じゃないんだが、」
歯切れ悪く生返事をする俺を妻は訝しげに見ながら(そう)と言って二人で商店街へと向かった。
暦の上では春になったばかりでも3月の夕暮れ時はまだ肌寒かった。
「あったかい物が食べたいわ、ねぇどんなお店に行くの?」
「定食屋だ」
「友達と一緒にご飯食べるのに、定食屋なの?」