「あぁ、美味いんだ!それにいい店なんだ」
冷たい風を受けながら商店街の入り口まで来ると、夕方のピーク時が過ぎていたものの、いつものように沢山の人で賑わっていた。
「森田さ~ん」
八百屋の奥さんが俺に大きく手を振ってくれた。店先まで歩を進めて天井近くに掲げてある額縁に目を向ける。墨で書かれた力強い格言は今日も存在感を放って店を見下ろしていた。俺は立ち止まってゆっくり頭を下げた。浩二さんは今日特別に早上がりすると言っていたので今頃は定食屋だ。
「森ちゃん!今日で最後だって!また遊びに来てよ!」
八百屋からまた先へ商店街を進むと、魚屋のおじさんが駆け寄って来て俺の背中をばしんっと叩く。
「はい。お世話になりました」
定食屋にたどり着くまで声を掛けてくれる人が沢山いた。その光景に妻は少しずつ俺の歩みから遅れをとる。俺は立ち止まって振り返る。と、妻は声を掛けてくれた人達に丁寧に御辞儀をしていた。
「お父さん、友達沢山いたんだね」
定食屋の前まで来た時、妻がポツリと言った。俺はにっこりと微笑んでから定食屋の戸を引いた。
「いらっしゃいませ」
威勢のいい奥さんの声が店に響く。
暖簾から顔を上げると沢山の見知った顔が出迎えてくれた。
足を骨折していた定食屋のオヤジは無事に復帰を果たし、店には料理教室の生徒だった俺達が入れ替わり立ち寄るようになって以前よりお客が増えたという。
8年過ごした商店街。その有り難さはこの半年で一気にやって来た。下町の人情はよそ者の俺にも惜しみなく感じる事が出来た。やっと心からこの地に来て良かったと思えた半年間だった。
だが俺は次の場所に進む。あの日浩二さんから格言の画像を貰った俺達。会いたくなったらいつでもこの商店街に来ればいいと、皆と誓い合った。
俺の居場所は、俺が作る!この商店街で培った気概はこれからもずっと俺の中に残っていく。
勧められるままにグラスを煽り続けて足元がふらつく程に酔ってしまった俺はとめどもなくみんなとの別れを惜しんだ。
惜しみながら、(されば、そも楽し!)と心の中で噛み締めた。