「もちろんよ。ごつごつした氷が大き過ぎて、痛冷たかったもの」
そう、あの頃は人情まで一緒に売っている店主が多かった。魚屋のおじさんも、そんな一人だった。
そんな思い出に浸っているうちにアーケードを抜けた。あっという間だった。
その先には高層住宅ビルの並木を抜ける、真っ直ぐで単調な道路がだらだらと続いているのが見える。途端に私の足取りは重くなる。
踏切を渡った。まだかしら。やはり意地を張らずに初めから夏美の提案に乗った方がよかったと、悔み始めた頃。夏美は、唐突に角を曲がった。私は夏美を見失わないよう足を早めた。あっ。目の前の風景に、私は足を止めた。夏美は、私が上げた声に振り返った。
「どうしたの? 疲れちゃった?」
ううん。私は、小さく首を振った。
そこには古い木造の家々が、車一台がようやく通れるほどの路地の両側で、肩を寄せ合うように建っている。そこだけ何十年も前から時間が止まったままのようだ。
「この感じ、結婚当時住んでいた町並みに、どことなく似ているの。もっと田舎の、もっとくたびれた家ばかりだったけど、何と言ったらいいのかしら、そうかも醸し出す空気みたいなものがね。この辺りに住んでいるの?」
「そう。もう少し奥の方だけどね。こんな所でびっくりしたでしょう。でも二十三区内で駅からも近いから、家賃はそこそこするのよ」
へーっ、そう。つぶや呟きながら見回す。その時、かちっと、私の中で何かが外れる音がした。
「実はね、私たち、駆け落ち同然で一緒になったの」
私は、つい口に出していた。
「えっ。そんな話、今まで聞いたことないわよ」
夏美はす素っとんきょう頓狂な声を上げる。
「それはそうよ、胸を張って話すようなことじゃないもの。あなた達が生まれて何年かして、なし崩しでお互いの親に許してもらったけど、未だにその話をするのははばか憚られるもの」
「じゃあ、何で私に話したの?」
「決まっているじゃない、娘だからよ」
思いのほか私の声が強かったのか、夏美は目を丸くする。私は小さく咳払いして話を続けた。
「それでね、私が家を飛び出して一ヶ月ほどたった頃、お祖母ちゃんがアパートを訪ねて来てね。忘れもしない、四月に入って最初の土曜日だったわ……」
昼下がり。ノックに応えてドアを開けると、母が立っていた。とっさ咄嗟に目を逸らす。
「上がるわよ」
母は、立ち尽くす私の横をすり抜けた。玄関横の台所と居間の二間だけのアパート。たんす箪笥とちゃぶ卓袱台のほかには何もない狭い部屋。言葉をの呑んだまま、視線だけで後を追う。母は卓袱台の前に座った。首を回し、目で私に座るように促(うなが)している。私は顔を伏せたまま母の正面に座り、ひざ膝の上で拳を握りしめた。