「先生たちってモテるとか悩みとかなくてただ存在してるものだと思ってました」
「先生だって恋愛や仕事の悩みありますよ」
「当たり前ですよね」
「当たり前です」
「そういえば順一くん、バンドやってたよね?」
「ええ、まあ」
「もうやってないの?」
「はい」
「そっか、そうだよね。社会人だもんね」
「大学までやってたんですけど、やっぱり趣味の延長みたいなもんだったんで、やめるならきっぱりやめようと思って」
「そっか、なんか残念だなあ」
高校生の頃はあんなに熱中していたのに。なんだか寂しい。
楓、グラスのビールを飲み干す。順一のグラスの中身がとっくに空になっていたことに気づいた。
「もう一杯飲む?」
「いいっすか?」
「どうぞどうぞ」
「でもやっぱりやめようかなあ」
「お金なら気にしないで」
「いやあ、そうじゃなくて最近飲んでばっかなんで」
「そんな飲むの?」
「なんか飲んじゃうんですよね、一日の終わりに」
「飲んで適当にやり過ごす?」
「はい、そんな感じです」
「……やっぱり私、適当にやり過ごすなんてできない」
楓は目の前の順一を見て、ようやく自分の中のモヤモヤを理解した。
高校を卒業し大学に進学したり就職したりしていく生徒たちを見て、まだまだ変化の余地があることに憧れを感じてしまう。それにひきかえ自分はこのまま彼らを見送り続けるだけなのだろうか。自分だけがあの学校に、この街に留まって固まっていくような感覚に襲われるのだ。
「今、迷ってるの。先生辞めようかなあ」
「え、なんかあったんですか?」
「何もない。何もないから悩んでるんです。みんな学校卒業したらこんな立派なスーツ着てどんどん大人になっちゃう。なのに私はずっと校門から手振って見送るだけ。何人も何人も。バイバイ、元気でねって。それでまた教室に戻る。卒業式の後の教室ってねぇ、ひとりぼっちで寂しいんだよ」
楓は涙こそ出ないが、泣き真似のような、少しふざけた口調で言った。しかし、その言葉は本心だと順一には伝わっていた。
楓は取り繕うように切り上げようとした。順一は従うしかなく、二人は店を出た。