いろいろな感情やら感傷やらを抱えながら、歩道橋をわたる。前はなかったであろう洒落たマンションを通り過ぎたその先は道幅が狭くなり、片側にガードレールの続く道がひっそりと伸びていた。小雨のにじむ景色は沈み、歩道脇の木々が緑濃く茂ってこんな天気の日は少し重苦しい。その色は、間違いなく子どものころになじんでいたものだった。
“ここだ”
かつて住んでいた団地は、記憶のなかにあるその姿よりも小さく見えた。5階建てのコンクリートの建物がそびえるように大きく見えていたのは、自分が小さかったからだ。天気のせいでベランダに洗濯物を干している部屋は少ないけれど、どのベランダにも植木鉢が並んでいたり、エアコンの室外機の上にものが積まれていたり、生活感にあふれている。団地に囲まれた児童公園も記憶よりも狭く感じ、親子連れも、遊ぶ子どもの姿もない。集会場も長いこと使われていないように見える。昔、夏祭りやおもちつきなどをした場所だ。
一番右の列の1号棟2階。6歳まで住んでいた部屋のベランダには、派手なピンクのTシャツが干されていた。ポトスの鉢植えが物干しにかかっている。私たち家族が引っ越してから、何組の人たちがその部屋に住んだだろう。ベランダの下の団地の敷地内は原っぱのようなスペースで、住人が花壇を作ったり野菜を育てたり、自由に使っていたのだと思う。そこで花の手入れをする母の後ろ姿を思い出した。いまはほとんど草むらだった。
その一角で、紫陽花が雨粒をつけて光っていた。記憶のなかで青だけだった花は、淡いピンクと赤に近い濃いピンク色の花も加わり、沈んだ景色に色を添えている。花びらをつんで、一緒におままごとをして遊んだ友達がいた。やさしい時間が目の前に流れ出す。
今度こそカメラを取り出す。濃いピンクの紫陽花にピントを合わせる。「カシャリ」というシャッターの感触が指先に、耳に心地よい。敷地と歩道を区切るフェンスを越え、思い切って団地の敷地内に入った。毎年この時期に紫陽花に惹かれるのは、心の奥底に眠っていた幼少期の記憶のせいだろうか。
「そっちの花もきれいだよ」
突然、頭の上から声がした。一瞬、父の声のように感じた。
「ほら、そっちの紫の花」
振り向くと、1階の右から3番目の部屋のベランダに、おじさんがいた。白いランニングシャツに、よれよれのズボン。午後3時をまわっているのに寝起きのような頭をしている。丸顔がどこか父に似ていた。年齢的にも同世代に見える。
急に声をかけられた動揺を隠し、おじさんが示すベランダのすぐ下を見ると、茎をすっと長く伸ばした小さな紫の花がうつむくように咲いていた。近寄って、何枚か写真を撮る。
「きれいですね。なんていう花ですか?」
「名前なんか知らないけど、ずっと昔からそこらへんに咲いてるよ」
敷地内に侵入して写真を撮っている女を怪しむでもなく、おじさんはニコニコしている。
「ここ、昔からいろんな花が咲くんだよ。そのうち、さるすべりも咲くんじゃないかな」
タバコを吸いにベランダに出てきたようで、タバコの箱とライターをにぎっている。
「誰かがお世話してるんですか」
「してないよ。だってここに住んでるの、じいさんばあさんばっかりだもん。腰とかひざとか痛くて、花の世話なんてしないよ。こっちが世話してほしいくらいだ」
そう言って「アハハ」と笑う。一人暮らしだろうか。部屋からは、大きな音で競馬中継のテレビの声が聞こえる。出走前のファンファーレ。久しぶりに耳にした大嫌いな音に、胸がつまる。実家にいたころ、毎週末、父が見ていた競馬中継。赤ペンで競馬新聞に印をつけながら、朝からラジオとテレビにかじりつく父の姿はだらしなく見えて、嫌だった。