線路沿いの部屋には住まない、と決めていたはずだった。小さなころに数年間住んだ団地が線路近くで、電車が通るときの「ゴオンゴオン」と響く音が嫌いだったからだ。
「そうですか。いい部屋なんですけどね、駅から近いし」
町の小さな不動産屋のおじさんにそう言われ、「じゃあ、見るだけ見てみます」と駅から5分の線路沿いの物件を見に行った。結局その部屋を借りることにしたのは、家賃が安かったからだけではない。風にのって聞こえてきた踏切の閉じるときの音、アパートの敷地内に咲いているたくさんの紫陽花の青色が、しまい込んだままずっと忘れていた箱を開けたときみたいに、閉じ込めていた時間や思いを引っ張り出したのだ。
「ここ、電車が通るのは1時間に4、5本、朝と夜9時以降はもっと少ないから、音はそこまで気にならないと思いますよ。駅から近いし、コンビニがあって夜道も暗くないし」
7年付き合った恋人と別れ、35歳を前にして新しい部屋を探すこと、会社勤めではなく、フリーランスの仕事で収入も不安定。くわしい事情は話していなかったけれど、醸し出すものがあったのだろうか。不動産屋のおじさんが、親身になって探してくれた部屋だった。
昔住んでいた線路沿いの団地にも、紫陽花がたくさん咲いていた。
契約手続きを終えて不動産屋を出たとき、そこに行ってみたい気持ちが高まっていた。ここからなら電車で20分ほどで行ける。転勤族だった父の仕事の都合で、小中高校の間に6回引っ越した私たち家族は、ひとつの町に思い入れを持つことが少なかった。そのなかで父が、「あの町はよかった」と、あとあとまで言っていた町。小学校に上がる前までしか住んでいなかった私に、その町の印象は部屋で聞いた電車の音ばかりだ。そこをなぜ父が気に入っていたのか、聞いたことはなかった。
30年近くぶりに訪れた町は、はじめて来たも同然だった。その開けた雰囲気をまず意外に思う。古くからの商店街がある、下町的な場所だと思っていた。駅ビルはきれいで、チェーンの飲食店が充実し、自分と同世代の母親たちがベビーカーを押す姿に、腰が引けた。
梅雨入り前の、朝から小雨が降ったり止んだりの空模様。傘をさす人とささない人が入り混じり、湿度の高い風が吹く町の色はくすんでいる。駅からのながめは知っているいくつかの町が重なり、既視感はあるものの、特別なつかしさがこみあげる風景ではなかった。
「ぜん息持ちだったあなたを背負って、何度もお医者さんに駆け込んだ」
母からそう聞いていた小児科も、買い物に行った記憶のあるスーパーもみつからない。線路沿いに歩けばつくと思ったのに、かつて住んだ場所にたどりつけそうになかった。団地名を入力し、グーグルマップに道案内をしてもらう。人の記憶の頼りなさを情けなく思う。人間は感情ばかりに振り回されて、かんじんなことを忘れてしまうし、ときには記憶をねじ曲げてしまう。ここのところ、自分のベースになるものがことごとく崩れていく感じがした。恋人と別れたこと、仕事が思い通りにいかないことが理由のような、そうでもないような。30代半ばにもなって、人生がカラッポ。自分が歩いてきた時間を確かめたい、そんな思いがここに向かわせたのかもしれない。なつかしさよりも、無性に心細かった。
線路沿いを歩きながら、電車の通り過ぎる音や踏切の音を聞く。6歳までの私も聞いていた音。京浜東北線の電車の色、高架線の目立つ空、線路脇のフェンス沿いに生い茂る草、雑居ビルの看板、目につくものすべてを注意深く心に刻む。ここで自分はどんな幼少期を過ごしたのか。なぜ父はこの町が気に入っていたのか。ふと父のことを思い、こみ上げる後悔が胸をふさぐ。父が亡くなって3年。なぜ父ともっと会話しなかったのだろう。