視線の先に歩道橋をみつけた瞬間、はじめて、「ここ、知っている」と思った。
「歩道橋を使ったほうが家まで近くなるからね」と言ったのは父だったか母だったか。
歩道橋の向こうから、杖をついたおばあさんがやってくるのが見えた。ゆっくりと、けれど慣れた様子で一段一段階段を降りてくる。きっと長い間この町に住んでいるのだろう。足が不自由になっても、長年使い続けている歩道橋を渡るほうが近道だと知っている人なのだと想像する。すれ違うとき、かすかに粉薬の乾いたにおいがした。なぜか、その後ろ姿を覚えていたいと思い、とっさにカバンの中の仕事用のカメラを取り出した。
「あなた程度の写真を撮る人なんて、いくらでもいるよ。うちの仕事が気に入らないなら、ほかの人に頼むから」
昨日、仕事先で言われた言葉がよみがえる。シャッターを押す気持ちがくじけ、ぼんやりとおばあさんの後ろ姿を見送る。
「うちの雑誌で必要なのは情報なの。記事にも写真にも、芸術性なんて求めてない。これはあなたの作品ではないから勘違いしないで」
「もう少し雰囲気のある写真をのせたらどうでしょう」と提案し、返ってきた言葉だった。庭の美しいレストランも、話題の人としてだけでなく深いバックグラウンドを持った人物の撮影も、使われるのは平たんなパンフレットのような写真だけだった。たしかにそんな写真なら、誰が撮っても変わらない。
「余計なこと言ってすみません。今後ともよろしくお願いします」
そう言って頭を下げるしかない自分のふがいなさ。仕事を失うわけにはいかなかった。
「いつまでも危なっかしいやつだなあ」
いるはずのない父の声がした気がして、一緒に歩いているような錯覚を起こす。
会社をやめてプロのカメラマンになりたいと言ったとき、父の表情は曇り、母は「一度くらい賞を取ったからって、何を夢みたいなこと」と笑い飛ばした。市主催の写真コンテストの市長賞を取ったにすぎないのだから、当然の反応だったと思う。けれど、当時25歳だった私にあとはない、やるなら今しかないと、以前から思い描いていた夢を選んだ。
「そんな甘いもんじゃないぞ。プロの世界をなめるな」
そう声を荒げた父はかつて、生活のために小説家になる夢をあきらめたという。初耳だった。母は「25歳にもなって、なぜそんな不安定な道を選ぶの」とわめいた。母は昔から、自分が理解できないことはすべて否定する。加えて、仕事の忙しい父が家にいることは少なく母子家庭のような環境で、母の私に対する束縛も強かった。一方、関わりの薄かった父は私にとって敵でも味方でもなく、父からの期待や愛情も特に感じていなかった。そこにきて、かつての自分の経験を振りかざす物言いに強く反発し、「自分の夢と娘の夢をいっしょにしないで!」という言葉を投げつけた。
「お母さんには内緒だぞ」
その父が、会社をやめた私にこっそり「新しいカメラのレンズを買え」とお金をくれた。
「いらない」と意地になる私に、「持っていて邪魔にはならないから」と、強引に受け取らせた。そのお金は使えないまま、父を失ったいまとなってはお守りのようなものとなり、ますます手をつけられずにいる。