「ありがとうございます。助かりました。」渡されたタオルで頭を拭いた後、
カメラを見た。
「そうそう、カメラは大丈夫かい?」
「おかげで大丈夫みたいです。」反射的にカメラを抱え込むようにしたせいで、それほど濡れていない。
「ひどい雨だね。でも、じきに止むと思うから、それまでちょっと中に入って休んでいきな。」
「いいんですか。」
「だって、この雨じゃとても出らんないだろ。」外はまだ、大きな雨音が聞こえている。
「そうみたいですね。助かります。」靴を脱ぎ、玄関から奥の部屋に向かって
おばさんに続いた。
思わず小さく「あ」と声が出た。部屋の中にはコロッケのいい匂いがいっぱいだった。おばさんは、僕のその様子に気づいたような笑顔で、「コロッケ揚げたばっかりみたいだから、食べて行ってよ。」と言った。
その部屋は台所に続いていて、小さなテーブルに椅子が3つ置かれている。
「まあ、そこに座んなよ。」そう声を掛けたおばさんの横から、見覚えのあるおじさんが、台所から皿に盛ったコロッケを運んできた。いつもの仕事着ではなく、Tシャツにエプロンは縦縞模様でちょっと意外な感じだった。不機嫌なはずのコロッケおじさんだったが、店でコロッケを揚げてる時とは違い、なんとなく柔らかい表情に見えた。
居住まいを正した僕の様子を見て、おばさんはおかしそうに言った。
「そんなに緊張しなくていいよ。この人お店に出てる時は怖そうに見えるけど、ほんと見掛け倒しなんだから。 あんた。シンヤにもよく言われてたよね。顔だけ怖いからって。」
困ったような顔をして、おじさんは言った。「まず、食べて見てくれ。コロッケ。」
予想していた半分ぐらいの大きさの声だった。
「あれ?」早速コロッケにかじりついたおばさんが言った。「これ、随分とおしゃれな味がするねえ。…ほら。お兄ちゃんも食べてみてよ。」
一口食べて、お腹が空いていたことに気がついた。夢中で一個平らげてから、おじさんおばさんの視線に気がついた。それから、遠慮がちに言った。
「もう一個食べてみていいですか。とっても美味しかったんですけど、…お腹空いてたんで、何も味を考えてませんでした。」
「ハハハ。いいよいいよ。あるだけ食べてもいいから。これ、この人の試作品なんだよ。かっこよく言うと商品開発ってやつでね。いつものコロッケもいいけど、ハンバーガーとかテレビで宣伝してるのは、色々新製品を出すじゃない。うちのこの人も、なんだかその辺が熱心でね。だから、今の若い子がどう思うのか味見してくれると、こっちも助かるんだよ。」
そう言われて、2個目は味に神経をとがらせて食べた。「ベースはいつもの懐かしいコロッケですけど、なんだろう。ピザかなあ、ピザみたいな感じがします。」
「それで、味は?」おじさんは心配そうに聞く。
「スパイスのせいか見た目より食べた感じがスッキリしてて、何個でも食べられそうです。」
「オリーブ油と香草が入ってるんだ。もう一つ隠し味で入れてるものがあるんだけど、それは企業秘密。何個でも、食べられたら全部でもいいよ。それで、もう一つの隠し味ってなんだかわかるかなあ。」明らかに安心した声で、おじさんは急に饒舌になった。
「それがね」おじさんのエンジンがかかりそうな話をおばさんが遮る。「この店を二人で始めた時は、私がコロッケ揚げてたんだよ。もう30年以上前の話さ。そんで、この人が肉を計ったり包んだり、お客さんの相手をしてたんだ。」おばさんはこちらの気持ちを汲み取るように言葉を続けた。「考えられないだろ。」