「おう、優衣。ひさびさ!」
「パパ」
「ママがいなくなったって?」
「うん。店の前にスマホも買い物したものも全部置いて消えちゃって」
「そうか……」
「ママのことなにか知らない? ていうか、なんで蒲田にいるの?」
ついさっき追いすがったとは言えず、卓哉は黙ってうーんと考え込むふりをした。
「……わかんない。全然わかんない」
「もう、頼りになんない父親」
「ごめん。おばあちゃんは家で留守番?」
「ううん。心当たりあるからってどっかに……」
「心当たり?」
布美子は久しぶりにデパートの屋上へのエレベーターに乗っていた。
地下の食料品店や、上の階の洋服屋でたまに買い物はするが、屋上に上がるのは、“かまたえん”がまだ“屋上プラザランド”と呼ばれていた頃以来かもしれない。
布美子には確信があった。千秋は遊園地にいるはずだ。大学を出て就職に悩んだ時も観覧車に乗っていたし、結婚を昭一郎に反対されて喧嘩して家を飛び出した時も観覧車。とにかく千秋の人生にいつも観覧車はいた。
エレベーターが屋上に着いて布美子が飛び出した。すでに日はほとんど暮れていた。明るいエレベーターホールの向こうに駆け出すと、布美子の目の前に思ってもいなかったものが飛び込んできた。
そこは遊園地ではなく、ビアガーデンだった。
会社帰りのサラリーマンやOLが賑やかに楽しんでいる場で、子供の来るような場所ではなかった。もうここは遊園地ではなくなっていたのか。そう思ってよく見ると、奥に観覧車が見える。すでに終わってしまったのか灯りも消えて動いていない。よくよく見渡してみると、この時間はビアガーデンになっているが、昼間は遊園地なのだろう。子供が乗りそうな電車などの乗り物があって、昔とは少し様子が違うがやはりここは遊園地なのだとわかり、布美子はホッとした。
そこに布美子の携帯が鳴った。
「優衣? どう? ママ帰ってきた?」
優衣は答えが聞けると思って逆にそう言われ、驚いた。
「ばあばが見つけたんじゃないの?」
「そうだと思ったんだけどね……ばあばの勘違いだった。別のところ探してみるわ。またあとでね」
携帯を切ると、布美子はため息をついた。振り出しに戻ってしまった。しかし、どこから探せばいいのか布美子には見当もつかなかった。とりあえず千秋の友達のひとりにでも電話してみようか……そう思って携帯に指を伸ばした時、屋上の柵の緑の中に人影らしいものを見つけた。
「千秋?」
布美子が近づいていくと、それは柵にもたれかかって夜空を見ている千秋だった。
声をかけようかと手を伸ばそうしてその手を引っ込め、布美子は少し離れて同じ格好で並んだ。
都会の街の明かりの中、星はほとんど見えないと思っていたが、じっと見ているとだんだん数が増えてくるものだな──千秋は飽きずに星を数えていたが、ふと気配を感じて視界の端に意識を持っていった。よくは見えなかったが、それは布美子だと直感した。
そう思っていると、布美子が千秋と同じ格好で喋りかけてきた。
「……蒲田も変わったでしょ」
やはり布美子だった。千秋は素直に答える。
「うん……」布美子の言葉を聞いて凝り固まっていた何かが急に溶けていくような気がした「夜って、やってないんだね。観覧車」
「そうね。私も知らなかった」
クスクスと布美子が笑い、千秋も無理に笑ってみた。
「こんな柵で、街も見えないしさあ。あーあ、バカみたいあたし。あはは」