あとは何も言わず二人は夜空を見ていた。ビアガーデンの喧騒も消え、夜空と千秋と布美子だけのように感じられた。
このままこうして夜風に吹かれているのも気持ちいいかも。そう思っていると、千秋の頬に突然ぽろりと一粒波が流れた。
「あれ? なんだろう」
なぜそんなものが出てきたのか千秋にも理由がわからなかった。布美子は黙って夜空を見ている。
「なんかあたし、空回りばっかりしちゃって……やんなっちゃうな、もう」
「……」
「なんか言ってよ。ねえ……」
布美子は今までもずっとただ寄り添っていた。解決するのはいつも千秋自身だ。
しばらくたって布美子はおもむろに口を開いた。
「とりあえず……帰ろうか。優衣待ってるから」
「……」
「ね」
そう言うと布美子は自分から寄りかかっていた柵から離れた。千秋もそうするかと思ったが、何かを言いたそうにしている。
「……?」
「母さん」
「何?」
「帰りたくないの」
「え?」
「その……そっちじゃなくて」
そうか。ずっと悩んでいたのはそのことだったのね。言えば簡単に済むことが言えないなんて、千秋の不器用さはやっぱり私似なのかもしれないな。布美子はあらためて思った。
「うん」
「だから、だから!」
布美子は千秋の肩を静かに抱いた。
「いいから。何も言わなくて」
こくんとうなずいた千秋の背中は、子供のように震えていた。
千秋と布美子とはエレベーターに向かってゆっくり歩いた。エレベーターホールに入る前に千秋が観覧車を振り返ると、布美子も釣られて振り返った。
そこには、色とりどりのライトを浴びて賑やかに回る観覧車があった。てっぺんのゴンドラの中では、若い布美子がはしゃぐ千秋を抱いて、満天の星に抱かれた蒲田の街を見下ろしていた。