芸術写真家を目指していた父が写真館の店主でありながら夢を忘れないようにつけたという店名の由来を、幼い頃千秋は父の膝の中で何度も聞かされた。広告代理店時代のタレントや俳優たちを撮っていた話を聞くのが好きだった。そんな「あすなろ写真館」は、一年前からシャッターが下りたままだ。
千秋と布美子が裏口から入ると、二階の住居からの階段を優衣が駆け下りてきた。
「お帰り、ばあば」
「優衣、ただいま」布美子が笑顔になって答えた。「暗室、なんか面白いものあったかい?」
「うん、古い写真がいっぱい。飽きないね」
「そう。あとで一緒に見ようかね」
「うん!」
優衣は、千秋を置いて布美子の手を引いて二階に先に上がっていった。
あの子は自分より母に懐いている。千秋はそのことが少しうらやましかった。自分はどうして優衣のように母に甘えたりすることができないんだろう。父親っ子だった千秋は、昔から何かというと布美子とぶつかってきた。そんな時、いつも父親が味方になってくれた。
ああ、父さんに会いたい。スーパーで買ってきた食材をテーブルに開けながら、千秋の心に唐突に父への思いが溢れて出てくる。
自分と母との関係に比べると、優衣との関係はまったく違う。優衣は母と娘というより友達同士のようで、中学の今までほとんど喧嘩したこともない。
小さい頃から優衣は絵が好きで、ひとりで絵を書かせていれば何時間でも平気で過ごせる子だったから、手のかかった記憶がない。小学校を卒業する頃から写真に興味を持ち始め、帰省してきた時はいつも昭一郎から手ほどきを受けていた。夫の卓哉はそれを見て、血は争えないな、と何度もありきたりな感想を言った。
卓哉は普通に父親として娘に接してくれたが、どこか距離を置いているように見えた。スポーツ好きの卓哉は優衣とは趣味が違うと言い、あまり父と娘として濃い関係には見えなかった。
だから家ではいつも女二人対男という構図だった。今にして思えば、卓哉は家での居場所があまりなかったのかもしれない。千秋はなにか合点がいったような気がしてネギを切る手を止めて思いを馳せた。いや、だからといって不倫が許されるわけじゃない。それとこれとは話が別だ。
クスクスと優衣が笑うのが背中で聞こえる。千秋はまな板に向かいながら、優衣と布美子が皿を並べながら自分のことを話しているのを感じていた。ママ、今日はずっとこうだよね、と指で頭に角を作って布美子と笑い合う絵が簡単に想像できた。
また自分は大きな声で独り言を言っていたのだろう。気にしないつもりでいたが、千秋はその苛立ちを食事時にまで引きずってしまい、また布美子に噛み付いた。
「そんな出歩いたりしないで少しはゆっくりすればいいじゃないの」
「いいじゃない。私の勝手でしょ」
「あたしは母さんの体のことを思って言ってんの」
「それなら私の好きにさせて。私の体なんだから」
「自分はそうやってしっかりしてると思ってるかもしれないけど、他人のほうが客観的に見えるってことあるのよ」
黙って交互に二人を見る優衣に布美子が同意を求める。
「ママうるさいわねえ」