それからというもの、欽治は積極的におじい便の活動に参加するようになった。配達がない日は淋しく、おじい便の宣伝のビラをつくろうと昭夫に提案したほどだった。手製のビラは、ウォーキングを兼ねてポスティングして回った。昭夫の息子と嫁が地元のネット掲示板で宣伝してくれたことも手伝い、徐々におじい便の利用者が増えていった。そうすると当然ながら、今度は別の問題が出てくる。
「うれしいことだが、おれと昭夫で対応しきれなくなってきたな。万歩計見ると多い日は一万歩歩いてるぞ」
「そうだな。メンバーを募集するか。こういうのはみんなでやった方がふれあいの輪が広がるからな」
欽治もそれに賛成し、さっそく手書きで求人の張り紙を作成した。
おじい便 メンバー募集
健全・健康町営を一緒にやりませんか?
たくさん歩いて、健康になって、町民たちとふれあいまショウ。
ポスティングと同時にドラッグストア堀内に貼ってもらった。
一週間もすると、八人のおじいが集まった。そのうちのほとんどが商店街で会ったことのある顔なじみだった。
「こりゃ心強いな」欽治と昭夫は仲間ができたことをよろこんだ。仕事の同僚や趣味仲間など、何かの作業をともにして思いを共有できるような存在はこれまでにもいたはずだった。しかし、今回できた仲間ができたよろこびや安心感は、これまでに感じたものとは比べ物にならなかった。自分が孤独だからか──? いや、それ以上に、自分が感じる生きがいや確固たる「志」を共有できる仲間ができたことにしあわせを感じているのだと、欽治は確信した。
約七百メートルある桜元町商店街の北側から始まったおじい便は、利用者にとってほしいものがあれば当然、中央にある店にも南側にある店にも注文が入る。やがて商店街の中のほとんどの店や、その周辺の数店が参加するようになり、おじい便はほぼ毎日稼働するほどになった。同時に、欽治はもう数年も足を伸ばしていなかった北側の店の店主や店員と顔見知りになり、自身が買い物をする範囲もぐんと広がった。いまでは商店街を歩くといろんな人が声をかけてくれるようになった。
さらに、昭夫が興奮した様子で欽治の肩をつかんだ。
「それとな、この前、泣いていた女の子とその母親にうちの女房の弁当をあげただろ。えらいうまいって感動したみたいでな。インターネットの地元の掲示板で、あの弁当がどこに売っているのか、知っている人がいたら教えてくださいって書き込みをしたみたいなんだよな。そうしたら、『そんなに美味しいなら私も知りたい』『ぜひ食べてみたい』『どこのお店なんだろう』って話題になったらしいんだよ。それをたまたま読んだ倅の嫁さんが、うちのばあさんがよくつくる弁当と特徴がよく似ているって気づいて、その書き込みに『うちの姑がつくってくれる弁当だから、売っているものではない』と返信したんだって。それを嫁さんがばあさんに話したら、目を爛々とさせてな。おれのおじい便の話を聞いて、自分も何か地域のためにできることがないかしらって話していたばかりだったこともあって、『お父さん、これよ!』ってな」
「本当か? すごいじゃないか!」