──ねぇねぇ、きのうお母さんが初めて「ジービン」使ってみたんだよ。
──うちなんてもっと前から使ってるよ! すっごい便利だし、ジービンの人たちからいろんな話聞けて楽しいの。
──私も最近週に最低二日は「バーベン」に頼っちゃう。学生の強い味方!
──え、なあに、ジービンとバーベンって?
──やだー、知らないの? いま超はやってるんだよ。
鴨下欽治は日課となっているウォーキングにいこうとジャージに着替えた。四十五年連れ添った妻の瑞江が亡くなった三年前、淋しさを紛らわすように、葬儀を終えた翌日から始めたのがウォーキングだ。歳を取ると健康維持のために体を動かす者が多いが、欽治にとっては無心になるためという目的のほうが大きい。
六十歳で定年退職をしてちょうど十年が経つ。定年後の最初の数年は釣りや旅行、そば打ち、カメラ、陶芸などを妻や友人と一緒に楽しんでいた。しかし、妻が病に倒れてからは、趣味を楽しむ相棒を失ったこと、また看病疲れも手伝って、打ち込めるものをすっかり失った。妻が亡くなってから時間と体力も使いきれないほど余っているが、淋しい、退屈だとぼやいているだけで、楽しもうとする気力がまったくついてこない。
ウォーキング以外で外に出るのは近所の商店街のみ、話し相手も商店街の店員くらいだ。そのなかでも、惣菜屋、日用品店、個人経営のミニスーパーのような商店がそろっている、商店街入口から五十メートルくらいの範囲と、さらに限られている。食事はそれら商店で買った惣菜か、ひどいときはカップラーメンだけで済ませるときもある。
欽治は、きょうの買い物に出かけようと重い腰を上げた。生まれ育ったこの家は二回の建て直しと三回の修繕を重ねてきた。その間に、妹が遠方に嫁にいき、結婚した妻が来て、父が亡くなり、母が亡くなり、そして妻も亡くなった。子宝には恵まれなかったため、すっかりひとりぼっちだ。かつて四人では手狭だと感じていた家は、いまではそのほとんどのスペースを使っていない。
最後の建て直しから二十四年、ギシギシと音を立てる箇所が多くなってきた床を踏みながら、玄関に向かう。ウォーキングの帰りに商店街に寄り、三軒のうちのどこかで買い物をして帰るのが毎日のおきまりのコースだ。
欽治の住む桜元町は、駅から少し離れていながらも、歴史が古い大きな商店街があることからそれなりの住人数と活気がある。商店街は全長約七百メートル。南口と欽治の家は目と鼻の先で、ぐるりと時計回りに進んで商店街と並行する道を歩いて帰ってくると、おおよそ一時間で南口に戻ってこられる。そして南口から商店街に入って買い物をする、というルートだ。
歩き始めてちょうど半分くらい、つまり反対側の北口にさしかかったところで後ろから声をかけられた。
「おお、欽治、久しぶりだな」
振り返ると、そこには中学校時代の同級生だった森昭夫が立っていた。髪はだいぶ薄くなり身長がやや縮んでいるようだ。最後に会ったのは、まだ現役で働いていたころ、たしか五十代に差し掛かったくらいだっただろうか。
「昭夫じゃないか。元気だったか」
「ああ、変わらずピンピンしているよ。おまえは?」