「おれも変わらんよ。定年してから毎日暇している。いまもウォーキング中だ」
隣に立っている、品の良さそうな同年代の女性にあいさつは、おそらく昭夫の妻だろう。視線をそちらに移すと、それに気づいた昭夫が「女房の節子だよ」と紹介してくれたので、欽治は「はじめまして」と笑顔を向けた。
「きょうは、ひとりか?」
最後に会ってからずいぶん経つのだし、通夜も葬儀も瑞江の実家族が住む地元で行ったのだから、瑞江が亡くなったことを知らなくても不思議はない。
「妻は三年前にいっちまったよ。だからいまは自由な身だ」欽治はできるだけ相手が気を使わないように明るい口調で伝えた。
昭夫はしばらく黙り込んだ後、「そうか……」と言葉を絞り出した。妻の節子も「御愁傷様です」と頭を下げた。
「おいおい、そんなしんみりするなよ。お気楽に暮らしているさ」
力が入りすぎたせいで声がうわずり、しまったと欽治は慌てたがもう遅かった。少しばかりの重い沈黙がおとずれた。無理して強がっているのが伝わってしまっただろう。
気まずさを感じて昭夫の目から視線を落とすと、その先には、弁当らしきものが入った買い物袋を持っている昭夫の手があった。
「あ、これか? ときどき女房の手づくり弁当を、近くに住む倅一家に散歩がてら届けてやるんだよ。嫁さんも働いていて夜遅くなる日があるから助かるんだと」
息子家族が近くに住んでいて、こうして世話をしてあげる。たわいもない話をしてともに笑える妻がいて、老人になっても楽しみや生きがいがある。
いまの欽治にとって涙が出るほどうらやましかった。
「老人になると、家族のためにこういうことをやっているだけで、しあわせを感じられるんだよな」と穏やかな表情で話す昭夫を見ていると、胸が締め付けられそうになった。しあわせに浸る昭夫をよそに、欽治の淋しそうな表情に気づいた節子は、昭夫をさりげなく制した。それに気づいた昭夫は「あっ」と小さな声をあげ、慌てた様子で「おまえもウォーキングがてら一緒に行かないかい」と誘ってきた。本心から言ってくれているのか、それともその場しのぎの言葉なのか。おそらく後者だろうと思ったものの、欽治は気づいたら首を縦にふっていた。
商店街で買い物して先に帰るという節子に会釈をし、欽治は昭夫とふたりで肩を並べて歩き始めた。こうして一緒に歩くのは中学生のとき以来だろう。欽治の住む桜元町の南側である二丁目と北側である三丁目をまたぐように全長七百メートルほど伸びている桜元町商店街は、南口と北口どちらが入口でどちらが出口なのか、長い歴史の中で決着がついたことがない。中学生のころ、南側近くに住む欽治と北側近くに住む昭夫は主張し合い、互いに一歩も譲らなかった。
ふたりは歩きながら、定年後の暮らしや現役のときの仕事の話など、最後に会ってからきょうまでの情報を更新するように、さまざまなことを話した。中学のときの懐かし話に及ぶと、「商店街の入口近くのドラッグストア堀内で、三年のときにC組だった小西が働いているらしいぞ」と昭夫が言った。