もう、初体験には十分だ。お腹いっぱい。けど、こんな量のビールはすぐに飲みきれない。ちびちびジョッキを傾けながら、スマホを開いて見る必要もないニュースとインスタを眺める。大学時代、食堂で一人飯を食べていた時を思い出した。
やっとこさジョッキの半分がなくなって、あと半分だと気合を入れ直した時に、「こんにちは!」という声とともに、若い女が入ってきた。
「おー。やっときたか!」
「ごめんごめん。今日仕事が長引いちゃって」
そんな軽口を叩きながら、その女は奥へと入っていく。
ちらっと通り過ぎる時に、目があった。普通に恵比寿とかにいそうな人だった。そんな表現しかできないけど要は、この店に似合わない人だった。
「ビールでいいよね?」
「うん!」
慣れた感じで店の最深部に消えていく。
「またこいつ、競馬で負けたらしいよ」
客のおっさんが女に話しかける。
「また負けたのー。もうやめちゃえば競馬」
「でもねぇ。次は行ける気がするんだよなぁ」
「それ、こないだも言ってたよ」
あはは、と女の笑い声が店内に響く。
この店の常連なのだろうか。私は少し混乱する。スタバにいるならわかるが、この店でおっさん相手に談笑しているようなタイプには見えない。歳は私と同じかちょっと上ぐらいか。
少しその人に興味が湧いて、イヤホンの音量を落とし、会話を聞きながらビールを飲む。幸いなことに、少しも減らない。
「そうだ、あたし、こないだ勧められた本読んだよ!面白かった」
その本はだいぶ昔に流行ったやつで、私が好きな本だ。さらにイヤホンのボリュームを下げる。
「あとは最近だとあれも面白かったかなぁ」
それも好きな本だった。あら?と思う。
「そうだ、私もこの人に勧められて宮沢賢治の詩集読んだよ。宮沢賢治ってあんな強烈なことも書いてるんだね」
「そうでしょ?銀河鉄道乗っているだけじゃないのよ」
ついに、イヤホンの電源を切った。どれもこれも、自分が大昔、大学時代に愛した本たちだった。
バレないように、妖怪たちの隙間から見える女の横顔を見た。
伸びたまつげに、薄い唇。
綺麗な人だった。
胸が少しずつ高まる。
話してぇ!
声かけられてぇ!