いきなり和気藹々なお店は気がひけるし、これぐらいボロくて寂しい店なら自分も気兼ねなく入れるかもしれない。
それに、こんな店の中がどうなっているか、ちょっと興味ある。
……人生は経験だ。別に殺されはしないし、仕事は明日すればいい。
店に入った時のシミュレーションを脳内で繰り返した後、思い切ってガラッと扉を開けた。
小さい店内に染み付いたタバコの匂い。中は外の明るさを遮断してほの暗く、カウンターの奥にはタバコの煙とわらわらと妖怪の気配がした。
入った瞬間、ピタリと空気が張り付いたように静まり返ったS。イヤホンから流れていた音楽がやけに耳に響く。
一番手前に座っていたおっさんが飲もうとしていたビールを傾けたまま止まり、こちらを凝視してくる。
「こんにちは。やっていますか?」
シミュレーション通り、だけど今にも消え入りそうな声で一応聞いてみる。なぜか、泣きたい気分になる。もう、少し後悔していた。
「あ、あぁ。やってるよ」
カウンターにいた店主らしいおばちゃんがぶっきらぼうに返す。
それが合図のように、また時間が動き始めた。おっさんはビールを飲み、奥の客も会話を再開する。
私は、後悔を引きずりながら席へ向かった。
よくみると、奥にいたのは数人の年配の人間だった。しかし、様子は百鬼夜行の休憩所のようだ。
色々なものが染み付いた形跡のあるカウンターに座る。
「何がいい?」
おしぼりを渡しながら聞かれる。
「あ、ビールをお願いします」
黙って頷くと、おばちゃんは何か重要なミッションを行うスパイのようにビールを取りに行った。
店内をぐるりと見渡す。黄ばんだメニューが邪気から店を守るお札のように貼り付けられていて、ホワイトボードには手書きで今日のオススメが書いてあった。
絵に描いたような昭和の店だ。こんな店が21世紀にもまだ残っているのかと驚く。インスタ映えに何か恨みがあるのかってぐらい、映えない、色々と。
「はい、ビール」
びしょびしょに濡れた洗い立てのジョッキに並々とビールが注がれている。ジョッキの大きさが異常。一緒に柿ピーを出される。もしかすると、これがお通しなのかもしれない。
グッとビールを流し込む。緊張した体に、アルコールが染み渡って行く。
はぁ、と自然と声が漏れ出た。
女店主はタバコを吸いながら、客の話に混じって笑っている。