おばあさんはそう言いながら静かに頷いている。
「それに、また会えるわ、きっと。みやちゃんのこと見失ったりしないから」
足下で蹲っていた猫がいつのまにか顔を上げてこちらを見てる。銀色の瞳の中で瞳孔が縦に細長く縮んで光った。微かな声で鳴いたような気もした。
「待って!」
振り絞るようにやっとの想いでその一言だけが口をついて飛び出した。その時にはもう周りの景色の色が変わり始めていた。色が抜け落ちていく。全てを包み込むように強く大きな風が吹き抜ける。木々の枝葉が重なり合ってこすれ合って囂々としてざわめく。周りが少ずつ歪んでいく。おばあさんの笑顔もいつのまにか薄くなって波立つ水面に沈んでいくようにして消えていった。
はっ!と我に返った。神社の横の道を通り抜ける車の音がした。目の前にはお稲荷様が見える。私はお稲荷様の鳥居の前で膝をかかえるようにして蹲っていた。周りを眺める。北野神社に戻っている。足下に御朱印帳が落ちている。眩暈がした時に取り落としたのだろう。頁が開いて見開きで伏せたように落ちていた。壊れ物を扱うような手つきで拾い上げる。開かれた頁の間から何かが滑り落ちた。押し花で造った栞だった。柔らかな文様が透けている和紙の上に、ピンクの小さな花びらが二片押されている。私のものではない。しかし、とても……とても大切なもののような気がして、その押し花の栞を御朱印帳の間にそっと挟み込んだ。
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その後体調もすぐに良くなったので予定通り残りの神社も無事に廻り終えた。そしてその夜意を決して母に電話をした。母は現実的な人だ。北野神社であった不思議な話をしても一笑に付されるだけかと思っていたがそうではなかった。
「おばあちゃんね、きっと。つまり美弥花のお父さんのお母さん。稗田神社の近くにお家があったの」
稗田神社――稗田神社には、隣り合わせに一列に並んだ三つの鳥居があった。稗田神社に行ってすぐに気がついた。あの場所だと。普段は昔のことを語りたがらない母だったがこの時は過去を懐かしむように話を続けてくれた。母も父も仕事でいなくなる時蒲田のおばあちゃんちに私をよく預けていたこと。おばあちゃんは押し花造りが上手で小さかった時の私と花を集めによく散歩していたこと。近所の稗田神社で遊ぶことも多かったし、天気の良い日には少し遠くの神社まで散歩していたりもしたこと。私のそばに両親が付いている時間が少ないことを父は気にしていて、母に仕事を辞めるように説得していたこと。その話になるといつも喧嘩になったらしい。母は女優を続けたかった。少女の頃から願っていた夢が叶ったのだ。女優としてやりたいこともまだまだあった。そして折り合いが付かず、結局離婚した。その後、母は別れた父を頼ることなく私を一人で育てた。父に対しての意地もあったのかもしれない。ムキになってがむしゃらに女優を続け、一人娘を必死に育てた。蒲田に行くことはなくなった。お父さんのこともおばあちゃんのことも蒲田のことも幼い娘に話して聞かせることもなかった。私がその頃のことを覚えていないのも無理はない。と母は言った。
全てが繋がった。