「修ちゃんのお父さんとは、小さい頃から友達でね、中学校を卒業するまでずっと一緒だったんだよ。おじさん、小学校の頃、虐められていたことがあってね。でもね、修ちゃんのお父さんが助けてくれたんだ。だから、修ちゃんのお父さんには、本当に感謝しているんだよ」と言って、ニッコリと笑った。
せっかく銭湯に入って気持ちがよかったのに、もやもやした気持ちが広がる。バントウのお父さんの顔を見れないまま、下を向いてしまった。ゆんぽが「最後に、多摩川行こうぜ!」と言ったので、ぼくは、バントウのお父さんにお礼をして、急いで外に出た。
多摩川沿いの道には、六郷水門という名前の水門があって、ぼくらはここにくると、いつも水門のすぐ近くの原っぱに下りて、川の向こう側を眺めている。ごみごみした街から抜け出したいときに、ぼくらはいつも多摩川沿いに来ることにしている。川を挟んだ向こう側、川崎には、でかい工場がいっぱい並んでいて、更に遠くにあるでっかい工場の煙突からは、煙がもうもうとあがっているのが見える。
「いつ見てもあっち側の工場は立派だなぁ」
バントウは、そう言ったあと、はっとしたようにぼくの方を見て、しまったという顔をした。
「いや、ごめん、修ちゃん。そういう意味で言ったんじゃないからね」
「他に、どういう意味確があるのよ」ヤンちゃんが、あきれたように言う。
「いいよ。マジでうちボロいもん」
あっちの工場全部が大きいのかどうかは知らないけど、確かに、こちら側にある工場は、どちらかと言うと、うちみたいに家族でやっていたり、社員さんがいても、数人ぐらいの工場が多い。本当のことだ。後を継ぐ人がいなくて、工場を閉める人も多くなっているらしい。
「あーあ、修ちゃん、本当に行っちゃうんだな」ゆんぽは、ちょっと大きめの石を思いっきり川に投げた。ぼちょんと勢い良く水飛沫が飛ぶ。その後に、丸い輪が出来て、ゆっくりと広がっていく。それをぼくらは黙って見ていた。輪が消えるぐらいに、ゆんぽが泣き出して、派手に鼻をすすった。
「また、すぐ戻ってくるよね」釣られて、バントウも泣き出した。ヤンちゃんは、泣き顔をみられたくないのか、顔を背けている。
「大袈裟だよ。端っこって言ったって、東京だし、車とか電車ですぐ帰ってこれるしさ」ぼくは、小さめの石を、水を切るように投げた。石は、水面を三段跳ねて沈んだ。
「よし!」と叫んだタイミングで、ずっと待っていてくれたかのように、空からぽつぽつと雨が降りだした。 みんな、わぁわぁ言いながら、急いで、自転車まで走る。
「ぼく、ちょっと寄るとこあるから。みんな、今日本当にありがとう」
「えぇ、最後なんだし、一緒に帰ろうぜ」ゆんぽが、また泣き出しそうな顔で言う。
「ごめん、お母さんと、また挨拶に行くからさ」
ぼくは、名残惜しそうなみんなに手を振り、逆方向に走り出した。
「修平、いつでも帰ってきていいからねー」ヤンちゃんの声が、背中に刺さる。みんながせっかく送る会を開いてくれたのに、気持ちがもやもやしている。銭湯で暖まった体が、冷えていくのを感じた。
線路を跨いで、蒲田と西蒲田を繋ぐ大きな歩道橋の上から、蒲田駅を眺める。駅からは品川へ向かう電車が何本も出て行く。“走っていく”じゃなくて“出て行く”。