「ボクは四代目」
メールが既読になったことに気をよくしたのか、父の一将は帰って来る日時まで知らせてきた。芸能人風を吹かせてオープンカーに乗っての登場と思いきや、地味に電車を使って帰ってくるようであった。
その日、弁当屋の仕事を抜け出した明日香は、昼前のだいぶ早い時間から柱の陰に隠れて、改札口を見張った。時計を何度も確認し、明日香は舌打ちをした。10年ぶりの再会に、緊張が増すばかりであった。
「な、何だ、あいつ……」
白いスーツにパナマ帽を被り、首から赤いロングスカーフを垂らしている背の高い男。改札から吐き出されてきた人混みの中で、頭ひとつ抜き出た一将の姿は、異様に目立っていた。初老のおっさんが、恥ずかしいにも程がある。偉そうに胸を張って歩く姿は昔と何ら変わっていない。
次の瞬間、え? まじか、と思わず声を上げそうになって、明日香は柱の陰に深く身を隠した。人の視線などかまわずにずんずんと歩いてくる一将の後ろから、ボストンバックを持った女の人がついてきていた。「女連れかよ!」
一将はふと立ち止まって、周囲を見渡す仕草をしたが、その女性に何事か話しかけると、二人でタクシー乗り場へと移動していった。
ドキドキと脈打つ心臓を手で押さえながら、明日香の足は自然と駅ビルの屋上に向いていた。こんな時には観覧車に乗るに限る。
係員のチン助に千円札を投げ渡すと、「貸し切りだからな」と言い捨てて、明日香は無人の観覧車に乗り込んだ。ドアが閉まり、煩わしい外界から隔離されると、少しは気持ちが落ち着いてきた。
一将が連れていた女は、やけに地味そうな女だった。派手な一将の服装とは対極にあるような、茶系の目立たないワンピース姿で、一将の後ろに忠犬のように従っていた。
父はあの女と自宅に来るつもりだろうか。いや、居間には母の仏壇がある。女連れで来れるわけがない。
実は、父の家出は今回が初めてではない。明日香が小さい頃にも、ビックになるんだと言い残して、家を出ている。その後一度は戻ってきたが、まだ元気だったおばあちゃんと喧嘩が絶えず、また家出をしてしまった。それが10年前。
父が家を出て以来、残された家族は疑心暗鬼に陥り、いつもイライラとしていた。何故自分たちは捨てられたのか? 誰のせいなのか?……。女が三人残された中で、一番つらい立場だったのは明日香の母親だろう。
記憶が定かではなくなったおばあちゃんが今、「すまないね、澄子さん」と口にするとき、全てを抱えたまま病に倒れ帰らぬ人となってしまった嫁に謝罪をしているように聞こえて、明日香は複雑な気持ちになる。
久しぶりに会う父親とどう接すればいいのか。おばあちゃんはあんなふうだから、自分さえこの10年間のことを無かったことにしてしまえば、丸く収まるのかも知れない。もし母が生きていたら、どうしただろう。決して文句を言わない人だったから。そういえば、母もとても地味だった。
「くそ、地味な女はあいつの好みか!」
観覧車は、明るく輝く日差しの中で、ひたすら回り続ける。
明日香が小さい頃、父の一将と二人でよく乗った観覧車。明日香が喜ぶと、貸し切りだと言いながら、明日香が飽きるまで何回でも乗せてくれた。豪快で優しくて……。高校生のころ、映画のエンドロールの小さな文字を父の名を探して食い入るように見ていたことも思い出す。