「てっきり小窓の奥にいるもんだと思ってたよ。こんなところにいたとはね」
おばあさんが私の頭を撫でた。そうか、竜宮童子か。
誰もいない舞台から、音が流れてきた。竹笛のような懐かしい音色が、長く長く一つの音を紡ぐ。三味線とピアノが交わり、それらは音楽となって私を包む。おばあさんはほっとしたのか、ふうっと息をついた。
「よかった、よかった」
まぶしさに目を細めると、窓から西日が射し込んでいた。時計を見ると6時をさしている。ガタリと椅子の音をたて、立ち上がった。
ライブの時間に間に合わない。笙とつながってた唯一の場所なのに。私はここで何をしてるんだろう? いったい、ここはどこなのだろう?
「いかなあかんねん」
おばあさんは私の背中に手を置いた。温もりが伝わってくる。私と笙の関係は、今日、シーソーみたいに傾いてしまう、そんな気がするのに。ただただ、失うのが怖い。
子どもが泣いてる、と思ったらそれは私の声だった。しゃくりあげながら、会うのが怖いのだと痛感した。だけど会いたい。つながりを持たないで生きてきたから、一度つながったものをどう結び続ければいいのかわからない。
「戻りな、戻りな」
転がるように階段を降り、外へ出た。キキキ、と自転車のブレーキ音が聞こえたかと思うと、私の身体はアスファルトに打ち付けられていた。
遠くで誰かが歌っている。哀しみを帯びた歌声、心地よい胸のざわめき。
傾いた視界の先にあるのは、駅前の飲食街だった。
そうか、私はあの時はねられたのか。心だけ、街を動き回っていたのか。妙な確信をもって、私は死を覚悟した。
手に強い力を感じて目を開けると、笙の顔が目の前にあった。
「どうしたん?」
はーっと彼はため息をつき、ベッドに顔をつっぷした。私は病院のベッドに横たわっていた。
「そっか、病院か」
「先生呼んでくるよ」
するりと彼の手が離れそうになるのを、そっと握り返した。彼は両手で私の手を包んだ。
「脳しんとうだって言われたけど、心配した」
「…ライブ、いけへんかった。ごめん」
はーっと彼はまた深いため息をついた。
「そろそろさ、ライブを口実にしないで会いたいんだけど。僕はね、ライブに行きたいんじゃなくて、一緒に音楽を楽しむのが好きなんだ。というか、一緒にいれるだけでいい」
優しい言葉に、私は小さくうなずいた。
大阪に帰る日、空はつきぬけるような青さだった。ちょっと時間をつぶそうと連れていかれたのは、駅に直結した百貨店の屋上だった。親子がジュースを飲んでいたり、白いトランポリンの上で子ども達が踊るように跳ねている。やっぱりこの街は、初めてなのに懐かしい。
「乗ってみない?」
彼が指差した先で、空を背負ったちいさな観覧車が、誇らしげに動いていた。