なんと言ってもこの街で充実した生活を送るのに、高橋さんがトリガーとなってくれた気がする。高橋さんと出会ってから確かになにかが変わり始めた。そしてそれは良い方向に向かった。大変にありがたい。感謝している。そんな高橋さんの店を代表するイラストを描いてみたい。春良は素直にそう思ったのだった。
夏帆が休日に春良の部屋へきた。この日、ふたりはどこかへ遊びに行こうと約束していたのだが、春良が仕事の都合で行けなくなった。そこで彼女がやってきた。
「夏帆ちゃん悪いね、どうも忙しくって。今やってる仕事どうしても今日中に終わらせたいんだよ、ほんとゴメン」
春良はパソコンに向かったままに、ローテーブルを前にソファーに座りくつろぐ夏帆に、今日の約束の不履行を謝る。
「そんないいのよ。仕事大切なんだから」
もう良く知った部屋である。彼女は自分でいれたコーヒーを飲みながら、テーブルに無造作に置かれていた雑誌のページをペラペラめくる。もちろんコーヒーは春良のぶんもいれた。彼もモニターを目にコーヒーカップを手にとる。
「そう言えば春くん帽子屋さんのイラストはどう?」夏帆が問うた。
ふたりつきあい始め、春良が自分を呼ぶのに「杉村さん」では堅くないかと、夏帆に言った。夏帆は、「じゃあ下の名前で春良さんて呼ぼうかな」と返した。「それもなんかなあ…」「じゃあなんて?」「うーん、そうだなあ… 僕のほうがだいぶ年上だけど君付けでいいよ、くんで」「春良くん? 春くん? とか」「まかせる」そこで夏帆は春良を「春くん」と呼ぶようになった。春くん、彼女の問いに答える。
「ざっと何種類かの案を考えたから、それをもっと絞りこんで手を加えていこうと思ってるところだよ」
「帽子屋さん気にいってくれるといいわね」
「ああ、そうなってくれるよう頑張る」
会話しながらも春良は仕事の手を休めない。手は休めないが、ときおり頭ではべつのことを考えたりもする。これまでいくつもの街を転々としてきた彼であるが、いま暮らすこの街が大変気にいった。この街に腰を据えようかしらと考える。この街に落ちついたその先の将来を考える。仕事は順調だ。きっとなんとかこの先もやっていける。この街に暮らし仕事する、あとそこに見えるものは……
「夏帆ちゃん僕と結婚してくれないか」
「えっ!」
あまりに突然の春良のプロポーズに夏帆は驚いた。
「いくつかデザインしてみましたから見てください」
タブレットPCを持って春良は、高橋帽子店にイラストを見せにきた。彼は手に持つタブレットを高橋さんに渡した。
「おお、どれもこれもなかなかいいじゃねえか。おっ! とくにこいつがいいねえ。このハットしてグッドのやつが」
「はっ? ハッ! としてグッドですか… 」
「ああ、ハットしてグッドよ」
高橋さんがモニターに指をさして見せたのは、中折れをかぶる男がサムズアップするのを図案化したものであった。
「確かにハットしてグッドですね」
「よしっ、これに決めた。ついでに字もハットしてグッドっていれるとスルメイカ」
「……… 好きにしてください。まあとにかく気にいってくれて良かったです」
「そう言や春良くん、デパートのべっぴんさんとは仲良くやってるかい?」
「はい。僕たちこんど結婚することに決めました」
「本当かい! そりゃあめでたいや。あっそうだ、ちょっと待ってな」と高橋さんはタブレットを春良に返し、なにやら店の奥へと小走りにいった。
「これよこれ。イタリアの高級な中折れだぜ。そう言や今日かぶってるのあれだな、はじめてうちの店で買ったやつだな。それもいいけどそれ取って代わりにこれかぶってみな」