この話は完全なる架空の街での架空の人物達の話である。ただネットでほんのちらりとだけれど調べてみた、作者まったくもって知る事のない、とある街の情報を多少なりとも加味した事は前もってここに述べる。だからしてその街と異なるところは当然として多々あるものの、作者勝手に空想し拵えたるこの話は、ある意味その街なくしては、存在しなかったと言えなくもない。人が集まり街となす。実際皆知らぬ街ばかりである。街。街ごとにそれぞれまったく異なる。だけれど、共通する何物かもある。結局人の群れであるからにして。
流れ流れて彼はその街へ来た。特別な理由も何もなく、ただなんとなく飽きて、違う街の空気を吸いたくなる。今いる街を出て違う街に暮らす。日常に倦怠を覚える。また街を出てゆく。何年ものあいだ彼はそんな事をくり返して来た。
ふと気づけば三十代もなかばとなっていた。フリーのイラストレーターとして、なんとかひとり生活してはいけてるものの、安定しない根無し草のような生活に最近少し不安を感じる。いったい今度はこの街でどのくらいのあいだ過ごすのだろうか? そんな事を考えながら、春良はパソコンに向かい、随分ほかっておいたやりかけの仕事を始めた。
どうもこの頃仕事にちっとも熱がはいらない。気が散漫として集中できない。まだ始めてから三十分と経っていない。にもかかわらず春良は、中途半端に仕事を終わらせ部屋を出た。曇り勝ちなる空に彼の気分もはっきりしない、どちらかと言えば矢張り沈んでいる。
彼はこれまで出来るだけ人と関わらぬよう生活してきた。ところで、人が多く生息し街となる。街には多くの人が息をする。と、同じような事を二度言ってみる。それで、人と関わりたくなければ山の中ひとり暮らすがよい。孤島でひとり暮らすがよい。にも関わらず彼は街を転々とする。いくら人と関わりたくなくとも矢張りひとりは寂しいのである。心ぼそいのである。だけど人づきあいはおっくうなのである。
さきほどから商店街をぶらぶら歩いているのだが、「お兄ちゃん今日は〇〇が安くてお買い得だよ」「ちょっとちょっとお兄さん、この〇〇が美味しいから試食してごらん」「なんだか雨が降ってきそうだねえ。傘持ってないようだけど大丈夫かい」「兄さん兄さん! やっと〇〇が入荷したからなかはいって見てって」ってな感じに、やたらと声が飛んでくる。春良は見向きもせずに通りすぎる。ちょっと店先に立ちどまろうものなら、まるで馴染みのように話しかけてくる。
「毎度っ!」
帽子屋の店先に飾ってあった茶色のソフトが気になって、足をとめたら直ぐさまに、奥から五十代ぐらいの白髪混じりの頭髪をした男が出てきて、彼に言った。毎度と言われて毎度でない彼は、「はあ」と言ったふうに軽く頭を下げた。ちらと気になるソフトのほうにまた目をやった。
「おう、それなかなか良いだろ。きっと似合うと思うぜ。ま、ちょいとかぶってみなよ」
たぶん店主と思われる男は飾ってあるソフトを片手に取って春良の頭の上にちょんと乗せた。
「おっ、良いねえ。うん、バッチリだよ。それ、そこのカガミで見てみなよ」
結構ですと断るのもなんだから、春良は男に言われるがまま、ソフトを乗せた自分の顔をカガミに映してみた。気に入った。
「これ頂きます」
「おう、毎度毎度ありがとう。値札とってそのままかぶっていくかい」
「じゃあそうします」
「ああそうしな、かぶってきな。袋代ちょいと負けておくよ」
なんだかまんまと買わされた体である。気に入ったから別に構わないのだが。それにしても……。
「ありがとうございます」