「四階の喫茶店でしょ。わたしも、おばあちゃんと一緒に何度もきたことがあります」と頷き、ふたりは揃って階段をおりることにした。
ちょうどお昼だということもあり、喫茶店は少し混み始めていた。店内の真ん中にある水槽には相変わらず気持ち良さそうに熱帯魚が泳いでいる。
向かい合った席に通され、ホットケーキとコーヒーをそれぞれ注文した。春菜は、何を話せばいいのか分からなかった。島津秋生本人が来るだろうと思っていたのに、代理人が来たことも想定外だった。もっとも、春菜自体代理人なのだから、予想されることではあったのだけれど。
「あの、佐々木さんのおばあさんはお元気なんですか? さっき、入院中だって言ってたけれど」何から聞いていいか分からないけれど、と前置きをして島津はこう切り出した。
「あ、はい。最近ちょっと転んでしまって骨折しちゃったんです。そこからは体調を崩しがちなんですけど……」春菜がそう言うと、島津は小さく頷いて「そうですか」と呟いた。グラスに入った水に少し口をつけたのち、こう言った。
「おれのじいちゃん、島津秋生は、今年の春に亡くなったんです。もう何年か前からずっと調子悪くて。今日のことはおれとじいちゃんだけの約束で……」そこまで言うと健司は何度か瞬きをして、ぐっと口を閉ざしてしまった。春菜はなんと声をかけていいものか分からなかった。その時、ふたりの前にホットケーキとコーヒーが運ばれてきた。二枚のホットケーキのうえに、王冠のようにのせられたバターは今にもとろけそうだった。ホットケーキの甘く優しい香りが優しくふたりを包み込んだ。
「ごめんなさい。ちょっと、思い出しちゃって。俺がくよくよしてると、どうしていいか分かんないですよね」健司はそう言って恥ずかしそうに笑った。
「とりあえず、暖かいうちに食べましょう」春菜はそう言って、にっこりと笑った。
自家製のメープルシロップをたっぷりとかけて、ふたりはホットケーキをぱくりと、ひとくち食べた。幼い頃に食べた味と変わらない、優しい味が口の中に広がった。その優しい味はふたりの緊張をまた少し、ほぐしてくれた。
「じつは、じいちゃんは佐々木さんのおばあさんと、結婚の約束をしていたそうです」ホットケーキを食べながら、健司は話し出した。
「えっ、そうだったんですか! おばあちゃん、恥ずかしそうにするばっかりで何にも教えてくれなくて」春菜はようやくあの時少女のようだった祖母の表情に納得した。
「ただ、島津の家の事情があって、じいちゃんは別の人と結婚しなきゃいけなくなってしまって。佐々木さんのおばあさんとの約束を破ることになってしまったんです。駆け落ちしようという話も出ていたみたいなんですが……」そこまでいうと、健司は申し訳なさそうな顔をして春菜を見た。
「じいちゃんは『家の事情を優先して、約束を破ったのはわたしだ。雪江さんは怒って約束の日に来てくれないだろうか』って、懺悔するみたいに何度もおれに言ってました」