強い風が吹きやみ、春菜は閉じていた目をおそるおそる開け、何度か瞬きをしていた。その時、誰かが屋上の扉を開けた。春菜はちらりと視線を寄せた。その人は若い男の人だった。春菜と同じくらいの年齢だろうか。春菜が想像している「島津さん」とは違っていた。祖母から聞いた島津さんは七十代後半のおじいちゃんだ。ふうっと小さく息を吐いて、緊張で高鳴る胸を、すこし落ち着かせようとした。その男の人はきょろきょろと辺りを見渡した後、一度観覧車の方へと歩いて行った。
ちらりと腕時計を見ると、あと五分ほどで正午をむかえる。春菜は強い風でぐちゃぐちゃになった髪をささっと手で整える。ガラス越しに見える階段に視線をやり、屋上へやってくる人を見落とすことのないように、じっと見つめていた。
「あの、すみません」
突然声をかけられ、春菜はびくりと肩を震わせた。階段を見つめていたせいで、近づいてきた男性に気がつかなかったようだ。
「もしかして川村雪江さんの親族の方ですか?」
さっき屋上にやってきた男性が春菜に声をかけてきた。春菜は少し、警戒した様子を見せると「ああ、すみません! ナンパとかじゃなくて。あの、おれ、島津秋生の代理で来たんです。それで、いま人を探してて。あ、いや、待ち合わせかな?」と男性は慌てて弁解して、カバンの中を探りはじめた。
「ごめんなさい。ちょっと、驚いてしまって。あの、川村って言うのは祖母の旧姓です。今は佐々木雪江といいます。えっと、私は雪江の孫の佐々木春菜といいます」春菜はそういって、ぺこりと頭を下げた。
「ああ、良かった。なんとなく、じいちゃんから預かっていた写真の人と似てたから。思い切って声をかけてよかった」そう言ったあとすぐに「焦ったー」と息をついた姿を見て、春菜は、目の前に現れた島津さんの代理と名乗る男の人は悪い人物ではなさそうだと感じた。彼はカバンの中からモノクロの写真を取り出して春菜に見せた。
「おれ、島津秋生の孫で、島津健司って言います。来てくれてありがとうございます」そう言って、島津健司は深々と頭をさげた。
春菜は、島津が取り出してみせた写真に釘付けになっていた。モノクロだし、ぼんやりとしてはっきりとは見えない。けれど、そこには祖母と、島津の祖父と思われる男性がふたりで映っていた。写真に映るふたりは、晴れやかで、それぞれ優しい笑顔を浮かべていた。若い頃の祖母は、祖母が病室で言ったとおり服装や髪型は違っているけれど、春菜によく似ていた。丸顔で、くりっとした目つき。笑ったときに出るえくぼまで一緒だ。島津の祖父であろう「島津秋生」もさきほど健司と名乗った、目の前の男の人とやはり似ていた。優しそうなたれ目と、薄いくちびる。写真に写るふたりの姿は、とても幸せそうだった。
「あの、私、おばあちゃんから封筒を渡してくれって頼まれて来たんです。おばあちゃん、今入院中で」そういいながら、春菜もバッグの中から預かってきた封筒を取り出してみせた。島津秋生様、と記された封筒を健司はじっと見つめていた。
「ここで話し込むのもなんだから、お茶でも飲みながら話しませんか? おいしいホットケーキのお店があるんです」
島津がそう提案したので、春菜は封筒をいったんバッグにしまった。