「ええ、あります。子どもの頃、蒲田に住んでいたことがあるので、その時に。でも、どうして?」
「いきなりすみません。実はこの観覧車、この屋上に設置されてから今年でちょうど50年なんです。それもあってか、懐かしいと仰ってここに来られる方もたくさんいらっしゃるので……」
「そうなんですか」
「はい。2014年に一度、閉鎖の危機を迎えたんですが、存続を望む声をたくさんいただいて復活しました」
今年で50年ということは、この屋上観覧車も今日子と同じ1968年生まれらしい。同い年だと思うと急に親近感が湧く。それ以上に、自分の50回目の誕生日にここを訪れたことに、何やら不思議な縁を感じた。
「失礼しました。どうぞ」
そう言ってスタッフがドアを開けたのは、可愛らしい赤いゴンドラだった。
「ありがとう」
「はい! では、いってらっしゃい!」
ガシャリとドアが閉まって、今日子を乗せたゴンドラはゆっくりと上昇を始める。ちょうど降りて来た反対側のゴンドラに乗っていた小さな女の子が、今日子のゴンドラに向かって笑顔で手を振ってくれた。
思わず今日子も手を振り返す。その間もゴンドラは上昇を続け、やがて窓からは蒲田の街並みのパノラマが広がった。観覧車自体は小さいけれど屋上に設置してある分、高さがあって眺望も素晴らしい。
今日子は静かに息を吐いて、ぐるりと懐かしい景色を見回した。
桜の花のピンクが、景色のあちこちに艶やかな彩りを添えている。自宅のある方向は春霞がかかって景色が淡くぼやけていた。人も車も笑っちゃうくらいにちっぽけで、それでも、とても愛おしかった。
そのとき、今日子の携帯電話が鳴った。液晶画面を確認すると、かけてきたのは夫の隆からだった。
「……もしもし?」
「ああ、俺だけど。今日の夜は外で一緒に食事しないか?」
「え、今日? だって今日は晩ごはんはいらないって言ってたじゃない」
「それは作らなくてもいいって意味だよ。だって今日は君の誕生日だろう?」
そこまで聴いて、胸の奥に明かりが灯った。それはとても小さな明かりだったけれど、硬く強張っていた今日子の心を温かく照らしてくれた。
「……覚えていてくれたんだ」
我慢していたのに、少し涙声になる。
「当たり前だろう。とは言っても思い出したのは昨日の夜、ベッドに入ってからなんだけどね」
「ほら、やっぱり忘れていたんじゃないの」
ゴンドラは頂上を過ぎて、静かに下降を始めた。少しずつ蒲田の景色が見えなくなって、徐々に現実の世界へと戻ってゆく。
「まぁね、ゴメン。でも今日はお祝いだから、久しぶりに横浜で食事しようか。明日香も来るって張り切っていたし」
「明日香も?」