ラーメンと餃子を一人で平らげたので、お腹が少し苦しい。まだ陽も高いし、腹ごなしのための運動がてら、もう少し歩いてみることにした。
ふと、行き交う人の中に作業服姿の人を見つけた。
蒲田のある東京都大田区は小さな町工場が密集しているので、作業服姿の人も多い。今日子はその背中に、かつてこの街で元気に働いていた父の姿を重ねた。
父は休みの日以外は、いつも作業服を着ていた。服のあちこちに沁みついた黒い油汚れや、飛び散った塗料のあと。これらは全部、工場で働く男の勲章だと胸を張っていた。
働くことは生きること。父はいつも晩酌のビールを飲んでご機嫌になると、誰とはなしにそう言って笑っていた。
スーツ姿のサラリーマン、小さな子どもの手を引く若い母親、リュックを背負った学生達、重たそうな買い物袋を両手に持って家路を急ぐ同世代の女性、そして活き活きと闊歩する年配の方々。
そこにいるだけでエネルギーをもらえる街。そうだ、蒲田はそんな街だった。商店街を行き交う人々を眺めていたら、いつの間にか少しずつ元気を取り戻している自分に気がついた。
今日子は、その足でユザワヤに向かった。
ユザワヤは手作りのホビー材料を扱う大型専門店で、妹と二人だけで買いに来たこともある。今日子はさほど手先が器用な方ではなかったけれど、ものづくりは好きで、一時期ビーズアクセサリー作りにハマっていた。
久しぶりに行ってみると、昔は7号館まであった店舗は縮小され、5・6・7号館の3店舗となっていた。けれども商品の数の膨大さは健在で、今日子はあらためて圧倒された。とにかくホビー材料なら何でも揃っている。
ビーズアクセサリーをせっせと作っていた頃、お腹には明日香がいた。まだ見ぬ赤ちゃんに逢えるのを楽しみにしながら、主にスワロフスキービーズでストラップやブレスレットを作った。大きなお腹に胎動を感じながら、時が経つのも忘れて夢中になった。
月満ちて、やがて明日香が生まれた。
自分の時間は、ほぼ全て育児に奪われた。でもそれは幸せな忙しさだった。
そして明日香が自由に動き回るようになると、小さなビーズを拾って食べてしまうのではないかと新たな心配が生じた。
ビーズは箱にしまわれて、明日香の手の届かない場所に置かれた。そしていつしか日々の生活の波に押しやられ、思い出すこともなくなっていった。
けれども今こうしてたくさんのビーズを眺めていたら、完全に忘れられていた創作意欲がむくむくと頭をもたげてきた。
「また、何か作りたいなぁ……」
自分の時間を自由に遣えるようになった今なら、もっと大作にだって挑戦できるかもしれない。もう誰にも邪魔されず、思う存分、作業に没頭できる。
今日子はビーズアクセサリーの本と材料を、ここぞとばかりに購入した。今度は何を作ろうか。そう考えると新しい生きがいを見つけたような気がして、わずかに気持ちが浮足立った。
買い物を済ませて外に出ると、春の香りを含んだ風が今日子の頬をふわりと撫でた。